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憲法記念日に思う

 5月3日は憲法記念日だった。ニュースでは改憲派、護憲派それぞれに集会を開いたと報じられており、大手の新聞の中にも「憲法記念日だからこそ改憲について考える日とすべき」と改憲に前向きな社説を掲げるものもあった。
 改憲を推進しようとする動きの根底にあるのは、この平和憲法は大戦後、戦勝国から押しつけられたものであり我が国が積極的に設けたものではないという理解があるようだ。
 しかし、それが誤解であること、一部の政治家の作為的な「必要性の誤信」に基づくものであることは立花隆の論考『私の護憲論』でも明らかにされている。
 
 私たちは世界に誇るべき世界に誇る高い理念を掲げた、それゆえに侵しがたい立派な法律であった旧教育基本法を失ってしまった。安倍政権が、「美しい国」づくりの一環として教育政策を充実させるという美名の下、ろくな議論もせぬまま教育基本法を「改正」してしまったからである。かっこ書きで「改正」としたのは、よりよい法律になったとは私が思っておらず、逆に国民と子どもたちの教育にとって望ましくない法にされてしまった考えているからである。
 失われた旧教育基本法は、何よりも民主国家の理想を高々と謳いあげた現憲法の理念を承けて設けられた「憲法と並ぶ最上位法律」であった。
 その制定にあたっては、60年前教育刷新委員会が教育基本法の案を検討した際に、40人もの専門家が長い長い時間を費やし、基本理念から草案の表現一つ一つに至るまで議論を尽くしたという。
 その記録は『教育刷新委員会教育刷新審議会 会議録』として公開されてもいる。
 南原繁(元東大総長)は、誠意を尽くした議論の果てにできたこの教育基本法についてこのように語ったと言われている。
   新しく定められた教育理念に、いささかの誤りもない。
   今後、いかなる反動の嵐の時代が訪れようとも、何人も教育基本法の精神を
   根本的に書き換えることはできないであろう。
   なぜならば、それは真理であり、これを否定するのは歴史の流れをせき止め
   ようとするに等しい。ことに教育者は、われわれの教育理念や主張について、
   もっと信頼と自信をもっていい。そして、それを守るためにこそ、われわれ
   の団結があるのではなかったか。
   事はひとり教育者のみの問題ではない。
   学徒、父兄、ひろく国民大衆をふくめて、民族の興亡にかかわると同時に、
   世界人類の現下の運命につながる問題である。

 さほど議論もせずに、また誰が改正案づくりに携わったかは知らないが、従来の教育基本法の高い精神性と比べてみればあまりにも次元の低い改正案が新しい教育基本法となってしまったことは、国民として悲しむにあまりある。
 大戦の反省に立って制定された現憲法並びにその精神を色濃く反映させた旧教育基本法は、暴走を止めるブレーキの役目を負い、その機能を60年にわたって立派に果たしてきたと言ってよい。権力を得た何者かが意図的なことをしようとした時に、その動きを押し止めたり元に戻す力として働いたり、その根拠としての働きを十分に果たしてきたのである。
すなわち偏らないための根拠となる上位法としての憲法とか教育基本法が、時の政権の恣意的なねらいを具現化するために変えられるということいなると、そのブレーキそのものの働きを「都合に合わせて」制御できることになり、非常に危険なことだと思っているし、改憲の動きはそうしたことと無関係ではない。

 憲法記念日の東京新聞社説は、次のように論じている。
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 日本国憲法の公布は1946年11月3日、施行は翌年5月3日でした。当時の新聞には「日本の夜明け」「新しい日本の出発」「新日本建設の礎石」「平和新生へ道開く」など新憲法誕生を祝う見出しが並んでいます。
 長かった戦争のトンネルからやっと抜け出せた人々の、新たな歴史を刻もうとする息吹が紙面から伝わってきます。新生日本の初心表明ともいえるでしょう。
 あれから60年余、日本は武力行使により一人も殺すことなく、殺されることもなく過ごしてきました。憲法の力が働いていることは明らかです。
 しかし、現代日本人、特に本土に住む人たちの胸には先人の思いがどれほどとどまっているのでしょう。少なくとも国内は平和で、戦争を体験した世代も少なくなり、憲法の効果を日常的に意識することはありません。憲法は空気のような存在になっています。
 「初心忘るべからず」と言いますが、忘れてはいけない初心が次世代にきちんと継承されているでしょうか。
 ~中略~
身動きもままならない管理社会態勢、拡大し定着する格差、それらがもたらす閉塞感で生まれる不満と不安…。関心はもっぱら自分を守ることに向かい、大きな視野が失われがちです。
 その間隙をついて一部で戦史の書き換えが進み、あの戦争を容認し、美化する動きさえあります。他方で自衛隊は世界有数の軍事力を持ち、海外派遣が当たり前のようになっています。
 いまこそ憲法が生まれた歴史的背景、経緯を正しく語り伝え、60年前の初心を再確認しなければなりません。
 憲法前文には「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とあります。
 制定者の念頭には諸国民の先頭に立つ日本の姿がありましたが、いまだに戦火と混乱に苦しむ人々が世界各地にいます。
 第九条を自国に対する制約と考えるのではなく、日本国憲法の有する普遍的価値を国際社会に向かって発信してゆくことが、日本には求められます。
 ~中略~
 歴史の産物であり教訓である憲法の将来を考えるには、現実に流されたつじつま合わせではなく、過去を緻密(ちみつ)に検証したうえでの議論が欠かせません。
 歴史に学んで第九条の現代的意味を追求し続けることが、改正手続きを定めた国民投票法の存在感肥大化、独り歩きを防ぎます。
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 立花隆は、その論考「私の護憲論」の中で『憲法を軽々に変えようとしている改憲論者は、憲法に関して基本的知識をちゃんと持ち、深くものを考えた上での改憲論者というよりは、頭の中が軽くて浅いだけの軽佻浮薄な改憲論者か、時の勢いに安易に乗るだけの付和雷同型の改憲論者と思われる』と断じた。
そのような軽佻浮薄、付和雷同型と目されるような改憲論に浮かされて改憲への道をたどることがあっては、誇るべき教育基本法を失った過去の失敗から何も学んだことにならない。覆水、盆に返らずのたとえもある。後世に悔いを残すことのないよう、憲法を改めて見直し、初心に返り平和や国民主権の意味を確認した上で、しっかりとした議論を尽くすことが何より大切であろうと強く思われる次第である。
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笹木 陽一

大変ご無沙汰しておりました。お元気ですか。ブログは日々拝見させていただいておりましたが、コメントさせていただくのは1年ぶりかと思います。雑事にかまけて、連絡が滞っておりましたことを、この場を借りてお詫びいたします。

先生とはこれまでも折を見て、憲法を巡る議論をさせていただいてきました。施行から64年が経過し、とうとうこの不滅の理想を謳った憲法を変えることを可能にする手続き法(国民投票法)が、過日18日施行されました。連立政権には護憲の社民党が位置付き「社民党が連立政権の一翼を担っている間は、憲法審査会は開かせない」と福島党首は発言していたようですが、時の首相が「新憲法制定議員同盟」の顧問である現状において、いよいよ正念場が迫ってきているようにも感じます。

普天間の問題で多くの国民が在日米軍の存在とその問題点について考える機会を得ましたが、一方では北朝鮮の魚雷に対する韓国や国連安保理の動きなどと関連して、軍事的な国際貢献の必要性を煽るような報道がなされているようにも感じます。加えて安保50年の節目を迎え、既成事実としての「日米軍事同盟」が幅をきかせ、憲法9条はますます形骸化されているように思われてなりません。この世相に抵抗すべく、岩波書店『世界』編集長の岡本厚氏他が呼びかけ人となった、米海兵隊撤収を求める声明は「日米安保条約は、冷戦時代の遺物であり、いまこそ、日米地位協定、ガイドライン(日米防衛協力の指針)なども含めて、日米安保体制を根幹から見直していく最大のチャンスである。その作業を開始することを、日本政府、そして日本国民に訴える」との強い言葉で締めくくられています。

思わず話が安保に移ってしまいました。9条の問題を考えるとき、それと理念上対立する安保の問題を避けては通れないと思ったものですから、少し脱線してしまいました。今日憲法の理念を大切に守っていくことは、現状を追認せずに、我々の生活の中で「憲法を活かす」ことを真剣に模索することだと感じています。朝日新聞の伊藤千尋さんは、その事を「活憲」という言葉で表現しています。「普段の生活で、対話する精神を根付かせる、実践するということが結局、平和憲法につながっていく」と伊藤氏は言います。9条だけでなく、貧困の問題に絡めて25条の生存権の問題もしっかり考えなくてはなりません。「子どもの貧困」についても現実は待ったなしの厳しい状況に置かれています。憲法26条が保証した「教育の機会均等」が、経済格差によってすでに反故にされています。できることは限られているかもしれませんが、かといってあきらめて何もしないわけにはいきません。我々は微力ではありますが、無力ではないのです。

教基法が変えられたときの悔しさ、そしてその後の教育改革の酷さ、ますます希望は遠のいているかのように見えます。でも2006年の12月に決意した「憲法こそは護らねばならない」との想いを胸に、慌てず、騒がず、坦々と、目の前の現実から目を背けることなく、しっかりと向き合っていきたいと思います。久々にもかかわらず、又も長文となったことをお許しください。改めてメールも差し上げたいと思います。では失礼します。
by 笹木 陽一 (2010-05-22 17:17) 

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