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衆院選に思う

 来月の衆議院議員選挙に向けて、連日のように政党の離合集散について報じられている。
昨日も新しい政党がつくられ、ようやく覚えたばかりの政党がその新しい政党と合流する
といった具合に、今どういう政党があるのかがわかりにくいばかりでなく、最終的にいく
つの政党で選挙戦を戦うのか、まだ先が見えない状態である。
 中には、理念や政策について合意ができていないにもかかわらず、とにかく勢力を拡大
するためにだけ合流を図るかのような動きを見せる政党もあり、文字通り「本末転倒」と
しか思えない具合である。

 各党間の違いが判然としないにもかかわらず、日ごとに状況が変わると言ってよいほど
に変化が激しい動きを眺めながら、多くの国民は『誰に(どの党に)一票を投ずべきか迷
う』と逡巡しているのではないだろうか。
誰を(どの党を)選んでも国民にとって将来に期待が持てそうにないということも、そう
した迷いの一因となっているはずだ。
 マニフェストや公約が選択の基準として頼りにならないことは、これまでの長い国政と
のつきあいでイヤだというほどに肌身に染みてわかってしまったからだ。
とりわけ、具体的な道筋も政策もなく耳に心地よい「実現不可能な夢(まさに空中楼閣の
如し)」を語り、単に「政権交代」を願い政権の座につきたかっただけとしか思えない民
主党によってもたらされたこの3年3ヶ月の混乱ぶりを見せつけられた国民にとって、党の公約などは選ぶ判断材料として誠に心許ないものだ、ということを十分すぎるほど学習
してしまったのだ。

 それゆえ、私たちは選挙戦の中で各党・各候補が何を訴え、何を公約として主張してい
るか、ということではない別の「選択の目」を持つべきだと思うのだ。
 それは、「今、何を語っているか」ではなく「これまで何を言い、何をしてきたか」と
いうことを見極める目である。
 これまでの政治活動の中で、どういう言動をしてきたかこそ、その人の「めざす社会」
や国民に対する姿勢が如実に表れていると思うからである。
 
 私は戦後すぐの生まれでいわゆる団塊の世代、すなわち「戦争を知らない世代」である。
しかし、私たちが育った時代は「戦争への反省」から平和を希求し、国民主権を強く志向
する戦後民主主義謳歌の時代であり、その喜びを享受してきたものだ。
 そういう目で見れば、自民党の安倍総裁は「戦争を知らなすぎる世代」と言える。だか
らこそ、戦前・戦中の国のありようを極度に美化して憧れ、尊重すべき憲法を改変しよう
としたり、平和憲法の精神が色濃く反映され、国民の教育権を柱に据え尊重した教育基本
法を『教育権は国にある』とする法に改悪してしまったのだ。この頃は、言うに事欠いて
『国防軍の創設を』と民主社会をリードする人物にあるまじき発言をしている。
 そのような人物を、そしてその人を総裁として戴く党を多くの国民が支持することはな
いだろうと私はひそかに見ている。

 その点では、石原元都知事も同様である。彼は「戦争を知りすぎている世代」であるに
もかかわらず、他国とことを構え、大人げない対応をとってでも自国の主張を通そうとい
う「協調の精神が欠如」した人物である。そうした姿勢が、これまでさまざまな場面でい
かんなく発揮され、それが問題を引き起こしてきたことは万人の認めるところである。
 現在、中国と難しい状況に陥っているのも石原氏の挑発に乗って尖閣諸島を国有化して
しまったことに原因がある。
 もっとも彼は、50年前に著した「太陽の季節」で一躍脚光を浴び、その業績をもって
政界入りをした人だ。無軌道な若者の生態を描いたその小説は、あの時代にあってはセン
セーショナルなものだったが、その無軌道ぶりは石原氏の感性そのものだったのだろう。
そうしたやんちゃな政治手法で煽動的な言動を繰り返し、それが強いリーダーシップぶり
を示すかの如く国民の目に映り、毀誉褒貶相半ばする政治軌跡となっているのだ。
 
 そうした政治姿勢は橋下大阪市長も共有している。こちらはまた「戦争を知らなすぎる
世代」であるが、戦って勝つことだけに生きる価値を見いだしている人物である。
しかも自己の価値観と異なるものを受け容れるだけの幅の広さがなく、異なる価値観を持
つものを「馬鹿」と決めつけ、排除しようとする大人げない人物である。そうしたことか
ら見え隠れするように、その生き方は人間観の貧しさしか窺わせないものであるが、人間
の価値を功利性と勝敗でしか測れない人であるから、誤解を怖れずに言えば文化的なもの
を「無価値なもの」と判じるこれまでの政治活動に如実に表れているようである。
 
 このように、これまでの言動に表れた「人となり」を見れば、公約などに著されないそ
の人の本性が明らかになり、国と国民の将来を委託できるに足る人物かどうかの確かな判
断基準になるだろう。
 評論家の片山杜秀氏は、フランスの思想家トクヴィルの『政治家は、まず初めに自らの
利益をみきわめ』、次に『自らの利益の周りに群集しうる同種の諸利益が何であるかを見
るように努力し』、『我欲をどう取り繕えば票に結びつくか。政党政治家はそのために詐
術さえ駆使』するという言葉を引用し、政党を素直に信じず、監視の目を怠るな!と言う。
 大いに同感である。この選挙期間中は、民主の仮面をかぶった浅ましいばかりの自己主
張が氾濫するだろう。
 しかし、そこで展開される言論の多くは、「公益のとばりの下に巧妙にかくされた我欲」
でしかないという醒めた目で彼らの主張を聞き、一方では彼らのこれまでの言動に思いを
いたし、政治を託すべき人物を見抜くことが肝要なのだと強く思うのだ。
少なくても単なる乱暴な政治手法を「強いリーダー性の表れ」などと見誤ることがないよ
うにしたいものである。

 ここで思い出されるのは古代ギリシャのヘロドトスの言葉だ。
 彼は、その著『歴史』の中で次のように断じている。
 曰く『一人を欺くよりも多数の人間をだます方が容易である』。
これまで選挙の度に、何と多数の有権者が欺されてきたことか。私たちは、彼らの言説に
欺されないためにも、そして欺された挙げ句『誰が政権を担っても同じ事』と自己の投票
行動をまたも反省、軽んじてしまったり、一票を投じることの大切さを放棄したりしてし
まうことのないよう、今度こそ(毎回そう思うのだが)より確かに見極めなければと思う
のだ。
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【民主と前政権自民の比較】


【民主と前政権自民の比較】


【教育問題 安倍の民主=日教http://e-nita.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_173/e-nita/image/seesaa_captcha_comment.gif?1354816368組批判は的外れ、旗を掲げて歌を強制すれば愛国というものではなかろう】

http://www.asahi.com/edu/news/TKY200410280332.html
国旗・国歌「強制でないのが望ましい」天皇陛下が園遊会で

天皇陛下は28日の園遊会の席上、東京都教育委員を務める棋士の米長邦雄さん(61)から「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」と話しかけられた際、「やはり、強制になるということではないことが望ましい」と述べた。

米長さんは「もうもちろんそう、本当に素晴らしいお言葉をいただき、ありがとうございました」と答えた。


http://blogos.com/article/34019/
君が代斉唱を強制する不敬な人びと

これを読んだ瞬間、私はこの和泉高校の校長、あるいはその友人であるという大阪市長は、いったいぜんたいなんという不敬な連中なのだろうと目が点になり、頭がクラクラした。
その理由は他でもない。今上天皇が冒頭に掲げた通り、君が代の斉唱は強制しないことが望ましいと表明されているからである。

私はもうこのブログでは再三再四表明している通り、今上天皇を心より敬愛し、尊敬している者である。
その今上天皇が、望ましくないとおっしゃられていることを強制するということは、すなわち不敬であり、反天皇行為である。
今上天皇主義者である私は、これを断じて許すことはできない。



【国防 自民政権下で竹島を要塞化され、原発安全神話で福島の国土を失ったのに愛国者気取りの安倍】

http://twitter.com/iwakamiyasumi/status/242906319407964160
続き。竹島、福田政権の時にヘリポートを作られた。弱腰外交は自民党政権から。日韓の交換公文で紛争は外交的手段で解決するとされ、日本は勧告に遠慮してきた。自民党こそ、韓国の実効支配をすすめてきた。民主党政権は竹島に言及しているが、自民党政権は橋本元総理を例外として言及がなかった。



【決断 解散の決断をした野田、国民に堂々と解散を宣言して決断できなかった前政権麻生】

http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20081009/1223550935
「文藝春秋」で臨時国会冒頭解散を宣言していた麻生太郎

麻生首相が月刊誌「文芸春秋11月号」に手記を寄せ、民主党の小沢代表に対し、次期衆院選で政権の座をかけて戦おうと呼びかけていることが9日分かった。

この中で、首相は「私は決断した。野党は政局優先の姿勢だ。国会の冒頭、堂々と私と自民党の政策を小沢代表にぶつけ、その賛否をただしたうえで国民に信を問おうと思う」と述べ、自らの手で衆院解散・総選挙に踏み切る考えを表明している。

これは、臨時国会の冒頭解散を宣言しているとしか読めない文章だ。


【マニフェスト 民主は大風呂敷だったが、自民前政権は超大風呂敷で民主以下】

http://utsuroinokumo.blog123.fc2.com/page-1.html
小泉政権は、郵政民営化さえすれば、「年金や医療」が良くなり、「景気」も回復し、「赤字国債」も解消され、「地方経済」が立ち直り、「戦略的外交」が推進され、「安全保障」も確立されるという誇大広告そのものの怪しいパンフレット↓を作りましたが、「郵政民営化」にそのような効能がはたしてあったのでしょうか。


http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-8355.html
http://uekusak.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2009/08/01/2005.jpg
財源だけでなく具体策もない自民マニフェスト


問題は内容だ。
自民党は民主党のマニフェストについて、財源が示されていないと騒いでいたので、自民党のマニフェストでどれだけ明確に財源が示されているのかと期待していたが、目が点になるマニフェスト発表になった。

「郵政民営化」を実行すると、

a.少子・高齢化の下でも年金・医療など社会保障の充実を可能に
b.雇用と消費を刺激して民間主導の景気回復を
c.こどもたちの世代に負担を残さず安心で安全な社会を維持
d.三位一体の改革で地方経済の立て直し
e.戦略的外交の推進 安全保障の確立

が実現すると書かれている。その後の日本経済を見て、この公約が守られたと考える国民は皆無だ。幼児教育無償化も4年前のマニフェストに盛り込まれたが実施されていない。



【経済政策 民主は現実的に、安倍自民は「輪転機をくるくる回して、無制限にお札を刷る」】

http://wandara.net/blog/blog.php?key=44314
「輪転機をくるくる回して、無制限にお札を刷る」/安倍自民党総裁の「経済は任せて!」/ハイパーインフレが年金生活を直撃か

友人と昼食を共にしたが、話は自ずから、いまの政局に。
年金暮らしの友人は、自民党の安部普三総裁の経済政策はハイパーインフレにつながる、と危機感を募らせていた。
 
「輪転機をくるくる回して、無制限にお札を刷る」(17日、山口市で)
「建設国債は日銀に全部買ってもらう」(17日、熊本市で)

確かに、こんな人が首相になったら、財政規律など吹っ飛んでしまう。
私も友人と同意見だ。

津波になすすべもなく、世界中に原発の放射能をばらまいたり、長い不況のトンネルに経済を導いたり…この半世紀のほとんどを政権党として国の舵取りをしてきた自民党による積年の無能無策の結果であって、民主党がわずか3年間で、その尻拭いを出来なかったからと言って責めるのはお門違いだ。

先の安倍政権は、2006年(平成18年)9月26日の内閣発足直後から、複数の閣僚による不適切発言と「政治とカネ」の問題、杜撰な実態が発覚した年金記録問題、小泉改革の負の遺産といわれる格差社会の深刻化の問題などが噴出し続けた。
翌2007年(平成19年)7月29日の第21回参議院議員通常選挙で、有権者の審判が下った。
政権与党の自民党・公明党は共に歴史的惨敗を喫した。
中でも自民党は、党創立以来守り続けてきた参議院第一党の座を民主党に奪われた。
このため、自公政権は参議院においては少数与党として「ねじれ国会」への対応を迫られ、結局、安倍氏は政権を投げ出した。

どうみても、いまの日本を覆う困難な状況に適切に対応できる人材とは思えないのだが…。
 
ほんの数年前のことなのに、日本人の物忘れも、ここに極まれり。

最近の世論調査の結果を見て、そんな感想を抱いた。


http://blog.livedoor.jp/nnnhhhkkk/archives/65770034.html
日本経済をボロボロにする人々 国土強靭化計画200兆円の安倍自民党の乱心

土建屋へのバラマキが大好きで仕方がない自民党が出してきた国土狂人化計画にあっけにとられた人は多いことだろう。この国土狂人化計画という狂人が考えるバラマキ額は、なんと200兆円だ。災害に強い日本だの何だのと綺麗事を並べているが、結局はバラマキに使われる。原発被害を除く東日本大震災の被害額は多めに見積もっても6兆円なのに、なぜか復興予算は23兆円に膨らまされて、少なくとも最初の5年で19兆円ばら撒かれてしまうことになる。6兆円以下の被害なのに、こんなに予算を膨らまされて増税されるのでは、官僚にとっては国民など何でも命令を聞く奴隷だとでも思っているとしか思えない。
国土狂人化計画も似たようなもので、命を守るだの災害に強い国にするだのという理由で、必要もない道路やら林道やら農道やらを作ることは想像に難しくはない。この道路や橋がないと、災害が起きた時に救急車が通れずに災害救助ができない。だから道路や橋やトンネルが必要なんだ。このように理由なんてなんだっていい。災害救助用のヘリコプターでは駄目なのかと言いたくもなるが、そういう理屈は通用しない。目的は金額ありきの土木事業でばら撒くこと。それがすべてだ。そこに理論も何も存在はしない。




by 【民主と前政権自民の比較】 (2012-12-07 02:54) 

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