SSブログ

安倍政治を総括する

 先月28日、安倍首相が突然に体調の悪化を理由に首相辞任を表明した。
 24日には、第二次内閣発足から2800日を越え、歴代最長の政権となっ
たばかりのことである。
 その折の首相自身の『政治においては、その職に何日間、在職したかでは
なくて、何を成し遂げたかが問われる~』の発言を待つまでもなく、長さよ
りもその成果と質が問われるのは当然のことだ。
続けてこうも述べている。『この7年8か月、国民の皆様にお約束した政策
を実行するため、結果を出すために、一日一日、日々、全身全霊を傾けて
まいりました。』
 ここで「国民との約束」と言っているのは、「国民の望んだこと」を意味
してはいないにもかかわらず、ご自身は支持を受けた以上、“自分の望み”
は“国民の望んでいること”に違いないという認識過誤に陥り、乱暴な政権
運営に終始してしまった感がある。

 このような認識過誤とそれに伴う乱暴な政権運営は、安倍政権の際だった
特徴であった。
 戦後70年にわたって築き上げてきた、民主国家のありようを根底から覆
すことに躊躇なく走り、戦前・戦中に立ち戻るかのように、国民から様々な
権利を奪い、一方で政権の「権力の拡大」を図り、そのことに拘泥していた
感があり、長い政権運営の中で際立った成果もなければ、民主国家の充実に
資する質の面でも低下・劣化ばかりが浮き彫りになったとしか思えない。

 質の劣化を隠そうとするからであろう、絶えず新規にスローガンを掲げて
耳目を引き続けることに腐心してきたことも、この政権の特徴であった。
次から次へと花火を打ち上げるように、「三本の矢」「新三本の矢」「一億総
活躍時代」「女性が輝く社会」「働き方改革」等々、かけ声をかけ続けなけ
ればならなかったのも失政や政権が内包する危険な意図から国民の目を遠ざ
けなければならなかったからだと見るのは、私一人ではないはずだ。
 そこで打ち出された政策のどれもが、仔細に検討されたもの、つまりあら
ゆる角度・視点で検討し、様々な分野とのかかわりで不都合や齟齬は生じな
いか、真に望ましいものとなり得るかと考え尽くされたとは到底思えないも
のばかりではなかったか。
それらは、あちこちにできた綻びにツギハギを施す如き弥縫策のようなもの
でしかなく、とてものこと高い視座から構想されたところのビジョンの元に
有機的な意味のある関連性をたたえたもの、根源的な問題解決を図ろうとし
たものであったとは私には見えなかったのだが、いかがであろうか。

 国民の望んだことでもないのに、“国民との約束”と言い換え、正当化し
て民主社会にとって“あってはならないこと”を、時には法の解釈を変更
してまで次々と決めていく姿勢は、まさに前時代の亡霊を見るかのようで、
日本の政治は地に堕ちたと暗澹たる思いに襲われたものであった。
 また、“あったこと”を“なかったこと”にするという白々しい態度にも
「為政者としてのまっとうな姿」、「潔い姿」とは対極のならず者の振る舞い
を見るようで、頗る悲しい思いが募り、怏々として愉しめないこの政権下で
の8年近い毎日であった。

 すべてはこの政権の主である安倍氏の「歴史から学ばない、あるいは学ぼ
うとしない」姿勢、そして現実を直視し、問題点を的確に把握して真摯に対
処することのできない理性・知性の欠如、さらに深い人間理解と社会認識に
基づく高々とした政治理念のなさなど、頼もしさとはほど遠い「大人げない」
と言っても過言ではない幼稚で寛容さに欠ける政治姿勢に依るものであろう。

 モノゴトの価値を非常に低次な「勝ち負け」、「役立つかどうか」、「利を
もたらすかどうか」「敵か味方か」など、一元的な基準でしかとらえること
ができない人物のようで、勝てば良い、利をもたらさない者は存在価値が低
い、役立たない者は不要とでも断じるかのような姿勢が色濃く見え、文化国
家のリーダーとして相応しい人物とは到底思えなかったというのが偽らざる
感想である。(こうした為政者の底の浅い価値観が、神奈川県相模原の老人
介護施設で起きた、不要な老人はいないほうが世のためだなどという誤った
正義感から多くの老人を殺害する事件を起こした青年を生む遠因となってい
ることは疑いようがない。)

 そうした低次な価値観をベースにしているからだろう。身近に寄ってくる
者を「優遇」し、異見を持つ者を「冷遇」したり、「排除」したりすること
を何の痛痒も感じずにできてしまうのだ。また、「勝つこと」のみに重きを
置くからこそ、“何をしても”勝てば良いという姿勢を生み、まともな議論
をしようとせず、相手を「やりこめ」、反論を「封じ込め」ることを議論の
目的だと勘違いする議論軽視にもつながっていくのだ。
 こうした未発達で未熟な為政者の態度が澱のように政権内部に留まらず、
与党内はおろか市民社会にも蔓延し、子どもの教育にもよろしくない影響を
与え、何よりも「政治倫理」を崩壊させた罪は大きい。

 私は長年にわたり教育研究を専らとしてきた人間であるから、許せないと
痛感するのは、この政権が教育に深く関与し、1980年代まで深化・発展
してきた学校教育のありようを後退させてしまったことである。教育の素人
であり、「学ぶ」ということに無関心・無理解な安倍氏が、教育を「教えて
もらって知識を蓄える」こと、さらに道徳を教科化し、本来「生き方につい
て考える」ことが重視される道徳の活動を、徳目を教え評価の対象として、
国策に従順な国民を育てるための授業すなわち「教え授ける」修身の授業と
してしまったことだ。
 自分を取り巻くモノゴトと自己との関係を深く掘り下げ、その意味やかか
わりを知ることの面白さや取り組み方を体験し、自己の力・世界の広がりを
楽しいと感じ、知的欲求を満たしながら「より深く知りたい」という意欲を
自らの中に築き上げていけるよう育むことが教育の目的であるにも関わらず、
「教えてもらって習う」という受動的な習熟・修練・鍛錬を目的とした思考
停止に追い込む場としてしまったのだ。
 教育の目的は、学ぶことを通して学び方(見方・考え方・取り組み方をを
身につけ、自立した「自己の考え・判断力」を持つ成熟した市民を育むこと
にあるはずだが、それは前時代への郷愁を強く抱き、お上の方針をありがた
く付き従ってくれることを望むこの政権にとって非常に都合が悪かったのだ
ろう。その意味で、この政権がいとも簡単に、さしたる議論も経ずに、多数
の力を頼りに世界に誇る教育基本法を改正してしまったことの罪は大きいと
考えている。今「改正」と書きはしたが、多くの教育研究者にとって、さら
に子どもたちにとっては、「改悪」以外のなにものでも無い。

 そうした動きは義務教育諸学校に対するものばかりでなく、高等教育なか
んづく大学教育と大学に於ける研究にまで及び、“カネにならない”人文系
の学問を軽視し、利をもたらすと目される理系の研究を優遇して予算配分に
差別を加え、ついには戦争のための道具、つまり武器の研究を奨励するよう
になってしまった。他国との紛争に武力を用いない、と平和国家を標榜する
現憲法に記されているにもかかわらず、「積極的平和主義」という人の目を
欺くすりかえられた言い方で正当化し、軍事研究を推し進めようという魂胆
なのであろう。
 こうした成果主義に基づく政権の主張は、いきおい地道な基礎研究を軽視
することにつながり、世界的な研究の中で日本の研究者の作成した論文の引
用数が大きく減少するという事態も生んでいる。
 学問研究は、即座に結果や成果が見えるものではない。ひょっとすると、
最初に立てた仮説を立証できないこともある。しかし、逆に研究の過程で思
いがけない副産物に遭遇することもある。研究対象に深く関わり、取り組む
ことで対象の謎や秘密を明らかにすることそれ自体が、研究の醍醐味であり、
人間の持つ知的好奇心が発揮・満足させられる「人間らしい」行為なのだ。
 安倍首相の言うように、手っ取り早く成果が出るような研究ならば、そも
そもやる価値がないと言っても良い。研究や学問について不案内な首相なら
ばこそ、このような学問軽視の姿勢が打ち出せるのだ。

 多くのことが、この政権の治世下で後退、もしくは劣化、喪失させられて
しまった。ひとえに安倍氏の認識不足・認識過誤、無知・無恥がもたらす破
壊力によってもたらされたものである。
 いずれも国民や国のために発動された「政権による権力の行使」ではなく、
どこまでも“私”のために権力を恣にするための「政権維持」を目的として
発出された“あってはならない”政策によってもたらされたものであること
は論を待たない。
 『ウミを出す』と表明した安倍首相ではあるが、ご本人が“ウミ”である
ことを自覚していない気配が濃厚で、これほど無責任な無自覚な宰相を戴い
てしまった国民の不幸は計り知れない。
 病気を理由に退任を表明した安倍氏であるが、退任の理由はそればかりで
はあるまい。むしろもっと大きいのは、さまざまな局面で行き詰まり、自分
の手には負えないと病気を口実にして敵前逃亡する好機とばかりに放り出し
てしまったのではないかと思われてならない。

 あろうことか、この退任を受けて政権の支持率が大きく上向いたという。
おそらく国民が病気をおして頑張ったのにお気の毒に、という具合に情緒的
な反応から『よくやった』『お疲れ様』などと考えたのかも知れない。
 しかしそんな情緒的なことで、かつ一時的な気分で支持に回るということ
で良いのだろうか。
 辞めたのだからそれで良いではないか、水に流そうという雰囲気が国内に
蔓延すれば、またいつか同じような『議論を軽視』し、『国民に牙を向ける』
政権が出現するに違いない。
 これまでの8年近くで失われたものを取り返す努力をしなければならない
中で、あれだけ放埒な政権運営をしても支持率が上向いたのだから、さらに
強権を発動しても良いだろうという驕った政権が現れれば、国民は主権者と
して何もできないまま、発言の自由も行動の自由も学ぶ権利も失ってしまう
かも知れない。そうした危機感をもって、この8年間の安倍政治を総括し、
併せてこの間に起きたさまざまな不祥事について問い続け、事実を明白にし
なければなるまい。水に流すなどということがあってはならないのだ。
そして、安倍政権に続く暫定政権である菅政権をもしっかりと監視し、何が
行われようとしているかを常に警戒しつつ見ていかなければなるまい。


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:学校

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。