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民主国家の危機3

 アメリカでは大統領選でバイデン氏が接戦州を制し、次期大統領になるこ
とがほぼ決まったが、トランプ氏が選挙に不正があったなどの不満を口にし、
訴訟を起こす等して抵抗しているようだ。民主的な選挙によって選出された
大統領が、民主制度をベースで支える選挙の結果に子どもじみた不満を言い
立てるなど、あってはならない醜態をさらしている。
 そもそも今回の選挙で圧倒的な多数の支持を得られなかったのは、これま
で4年間で自らが招いた「国民の分断、排除」にあり、“トランプ大統領で
はない方が良い”という「穏やかさと協調を求める民意」にあるのではないか。

 アメリカと言えば、民主主義のお手本たらんとする自由と権利の国として
(子ども心にも)私たちの目に映ってきた国であった。
 ところがトランプ政権下の4年間で、「自国主義」を言い立て、他国とは
対立の姿勢を窺わせ、国連人権理事会やWHOからの脱退表明をするなど、
国際機関を敵視したり弱体化に向かわせる姿勢を強め、国際協調とはほど遠
い分断をはかり、戦後世界が営々と築いてきた仕組み、すなわち「望ましい
世界のありよう」を求め探るための組織から背を向ける国にしてしまった感
がある。
 そして今回の大統領選で露呈してしまった「潔さの欠如」「引き際の悪さ」
など、「名誉ある撤退」という言葉を知らぬかのような、“己れ”しか見てい
ない悪あがきをするリーダーの姿は、滑稽な愚か者のようである。
 これが大国アメリカを4年にわたって強気の舵取りをしてきた大統領の姿
かと思うと驚き・呆れるばかりであるが、それはトランプ氏が政治に通暁し、
民主主義について熟知した人物ではなく、一企業家、経営者でしかないこと
から致し方のないことと、多少同情する気持ちも起きる。
しかし、この人物が大統領という強い権限を持ってしまったために、世界に
大小様々な影響を及ぼしてしまったことを考えると、そうした同情は無用な
ことであるに違いない。

 アメリカのこの4年間で見せた『民主国家としてのあるまじき姿』を他国
のことと笑ってばかりはいられない。
 日本でも同様に、政治による“分断と排除”がじわじわと進行し、気がつ
けば、法の精神を無視し、法そのものを軽視し、民主主義の柱である国民の
自由と権利が損なわれる政権の振る舞いが常態化しつつあるからだ。
 
 そうした振る舞いの典型が、日本学術会議の会員任命拒否の問題だ。
 日本学術会議法では、
 第17条で「日本学術会議は、規則で定めるところにより、優れた研究又
       は業績がある科学者のうちから会員の候補者を選考し、内閣
       府令で定めるところにより、内閣総理大臣に推薦するものと
       する。」
と記され、さらに
 第7条2項で「会員は、第17条の規定による推薦に基づいて、内閣総理
       大臣が任命する。」
とも定められている。
 さて、問題は第7条の“推薦に基づいて”の文言をどう解釈するかという
ことだが、法律の専門家も科学技術に詳しい文部科学省のある幹部も「『に
基づいて』は、国家公務員なら誰でも習う基礎用語。よほどの事情がなければ、推薦どおりに任命しなければならないはずだ」と指摘している。
 つまり、学術会議から推薦された会員を首相は“そのまま”任命しなけれ
ばならない、という解釈が通常で、任命を拒否すれば“裁量権の逸脱”にあ
たるという基準が示された例もあるという。
 昭和58年の参議院文教委員会で、当時の中曽根首相も「学会やら或いは
学術集団から推薦に基づいて行われるので、政府が行うのは形式的任命にす
ぎません。従って、実態は各学会なり学術集団が推薦権を握っているような
もので、政府の行為は形式的行為であるとお考えくだされば ”と答えてい
るのもそうした事情からなはずだ。
すなわち法に照らして考えれば、今回の任命拒否という行為は明らかな違法
行為だと言えるのだ。

 野党ヒアリングが行われ、その条文についての解釈変更があったのかを問
われた際に、内閣府と内閣法制局は『解釈を変えてない』と答弁している。
 だが“必ずそうしなければいけないというわけではない”から“形式的な”
任命ではなく、“実質的な任命”を行って良いのだとも答えている。
 つまり、「法律にはこう書いてあるが、必ずそうしなければならないとい
うわけではない」という論理が平然と語られているのだ。
 このような無茶な論理が通るのであれば、法を無視して好き勝手に何でも
できてしまうはずで、もはや法治国家とは呼べなくなってしまう。
 このような一般法の解釈を変えるのであれば、国会に法律を出して十分に
審議し、策定するという作業が必要なはずだが、内閣だけで法の解釈を変え
てしまうというのは、立法府を無視・軽視・ないがしろにする国民に対する
背信行為だと言って良い。
 
 そうした違法なと思える“6人の会員の任命拒否”をしたことについて、
首相から納得の行く説明はこれまでなされていない。“総合的・俯瞰的な活
動(これも意味不明な文言だが)”を推進する為に、年齢や出身、大学など
の“多様性の確保”が念頭にあったと繰り返したり、“閉鎖的で既得権益の
よう”になっているとの学術会議批判も飛び出した。
しかし、その具体的な内容・根拠については事実誤認であったり、『説明は
さし控える』と語られなかったりした経緯がある。
 
 また、任命を拒んだ6人のうち5人は名前も知らず、著作などを読んだこ
ともなかったという。想像するに、任命を拒否された6人の研究者の研究内
容はおろか研究実績なども知らないのだろう。にもかかわらず、会員に任命
しない(あるいはできない)というのは、研究に対する冒涜であり、学問を
軽視する国の姿勢を打ち出したものと言って良い。科学技術立国を標榜して
いながら、このように研究を蔑むとはどういうことであろう。
 日本学術会議は政府所管の組織ではあるが、法的に独立を保障された組織
である。学術会議法第三条に“独立”と記されているということは、法的に
は『内閣総理大臣の指揮命令から独立している』ということであり、人事に
政権が口を差し挟む余地はないということなのだ。

 にもかかわらず、この任命拒否が巷間言われているように、『特定秘密保
護法や集団的自衛権、「共謀罪」法に反対していた』からだ、ということで
あれば、国民の思想・信条の自由を侵害することになる。
学問の自由、思想・信条の自由といった、主権者である国民の権利をいとも
簡単に侵害したり冒涜したりする菅政権は、国民にとって非常に恐ろしい、
危うい存在であると言っても過言ではない。
 中には、このコロナ禍のさなかに、国会ではこの問題以上に重要な議題が
あるはずだと考える人も多いかも知れない。しかし、これは単に学術会議の
会員だけの話なのではないのだ。国民の基本的な権利に深くかかわる重要な
問題なのだ。市民一人ひとりが個人の考えを持ち、表現し、選択し、自立し
た、そして成熟した市民として生きていける国にするために保障された権利
が奪われようとした危機に直面している問題なのだ。そうした危機感を持っ
て、この問題は見るべきなのだ。
 安倍政治を継承すると表明した菅政権は、民主主義の深化に棹をさす政治
を何の痛痒もなく実行しようとしてように思えてならない。

 先に書いた通り、この国をどうしたいかという大きな展望を示さない一方
で、スマホ料金の値下げやら文書への押印の廃止などといった細かな政策を
打ち出しているのが菅政権の“これまでの政権にない”構えだ。
 スマホ料金の値下げを図るのは、スマホを多用する若い世代へのアピール
なのだろう。言ってみれば、利用者の負担を少なくするといった目先のアメ
につられて政権の支持が得られるだろうと考えてのことであろう。
 しかし、その一方でデジタル庁の新設ということも謳っている。この二つ
を考え合わせると、政権の目論見が色濃く見えてくる。
つまり、スマホの普及を図ると同時に、ネット上で国民を監視したいという
目論見だ。
 通信料金を低く抑えることを歓迎する市民は少なくないだろうが、それを
具現化することでネット上で国民を監視するという企みを隠すことが可能に
なると見るのは、うがち過ぎではないであろう。
 そんな見方をずっと捨てきれないでいたところ、今日の報道で「健康保険
証の将来的な発行停止を検討、マイナンバーカードとの一体化で」という動
きになっていることを知った。
やはりそうか、と日頃の考えが的外れではなかったと痛感した。

=この稿続く=

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