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民主国家の危機4

 つい先頃、あるテレビ報道で『このスマホ料金の値下げは、菅総理の目玉政
策の一つ』だと報じられていた。これが目玉政策?と我が耳を疑わざるを得な
かった。目玉政策というのは、もっと大所高所から、この国の行方をどうする
か、といった視座から論じられるべきことであって、このような些末なことは、
その具現化のための柱の一つとして掲げられるべきことのはずだ。
 どうやらこの菅首相という人物は、国の舵取りを(彼自身の言葉を借りて言
えば)“俯瞰的・総合的”に立案できる人物ではなく、眼前の細かなことがら
を処理していくといったこととしか見えていないように思われる。
 鷹や鷲のような視力をもって天空から地上を見下ろせる存在ではなく、リス
やウサギのように地上を動き回って眼前のエサを捕食するような、視野の狭い
存在のように見受けられるのだ。
つまりはリーダーではなく、仕事士なのかも知れない。これでは国の舵取りと
いう大きな責任が伴う任務は果たせないであろう。
 
 しかし、“些細・些末”なこととは言え、油断は禁物である。
 先述の通り、世の歓心を買うことのできそうなスマホ料金の値下げによって、
支持率のアップを狙おうという意図が透けて見えるが、その先にあるのは国民
を丸裸にしようということではないかと思われるのが、強い権限を持ったデジ
タル庁の新設、マイナンバーカードとスマホを紐付けた国民の個人情報の把握
とそれによる国民の管理・統制にあることが透けて見えるからである。
 個人にとっても便利な手段だとして、買い物のみならず行政手続きもスマホ
で可能になった中国では、あらゆる個人情報が国に必要以上に補足され、思想・
信条までもが国家に管理されている。それと同様のことが我が国でも行われ
ようとしているのだ。
 マイナンバーカードの発行数が20パーセントと普及しないことに業を煮や
した政府が様々なこととヒモづけ、マイナンバーカードがなければ“不便”を
かこつという状況を作り出したいと考えてのことだというのは明白である。

 マイナンバーカードが普及しないのは、その政策の陰にある得体の知れない
怖れを多くの国民が感じとっているからに違いない。そこで窮余の一策として
浮かび上がったのが、スマホとの連携でもたらされる“手軽で便利”という誘
い文句なのだろう。
 私は、個人で持つコンピュータが「マイコン」と呼ばれた時代からコンピュ
ータに関わって来て、ほぼ40年間その便利さを享受してきた。そして、その
一方で不安定さ信用の置けなさといった負の面も痛感してきた。
 とりわけ、インターネットという世界をカバーできるネット通信が誰にでも
開かれ、容易にできるようになった時代からは、セキュリティー上の安心を保
つということが大きな命題となり、一つ間違えば情報が暴かれ、拡散してしま
うという事態が出現してしまった。
のどかにその便利さを享受できる時代ではなくなってしまったのだ。

 スマホやタブレット・パソコンを駆使して作業をする者には、その危うさを
承知した上で可能な限りの対策を施し、万が一クラッシュしてデータが失われ
てしまうことも覚悟し、その対策を講じて使うことが求められる。
 それゆえ大事なデータの扱いをうかうかと他人任せにすることなど、絶対に
したくはないし、してはいけないと考えているはずだ。
 ましてやデジタル庁で扱おうとするデータは、大切な個人情報そのものだ。
呑気ににそれらを(どのように管理されるかわからない)他人に手渡すなど、
とてもできそうにない。誰がネットワークに入り込んで情報を盗み出されるか
知れたものではないのだ。
 二重・三重の意味で、デジタル庁に強い権限を持たせ、国民の情報を一括し
て管理されるなどということには強い恐怖を覚える。何かことが起きた時に、
どのように責任をとってくれるというのだろうか。

 責任と言えば、コロナ騒ぎの中、無謀にもGoToキャンペーンにこだわり、
せっかく収まりかけた感染拡大をいっそう広げ、今や医療崩壊の危機が叫ば
れるような事態を引き起こしたにもかかわらず、その責任をとろうとせず、
具体的で有効な対策についてリーダー自身が自らの口で、自らの言葉で説明
したり訴えたりしないのも「無責任の極み」だ。今次の第三波は、抗しきれ
ない力に依るものではなく、まさに政権が引き起こした人災だからだ。
 『経済をまわす』と主張してGoToキャンペーンを止めようとしなかった
のは、「人が移動しても感染を広げない」という分科会の意見を背景にして
いるようだが、春に緊急事態宣言が出され、自粛生活をして人の動きが少な
くなった時には、感染の広がりが抑えられた経緯がある。その経験に基づけ
ば、「人の動きの抑制」が「感染拡大の抑制」につながると考えるのが自然
ではないか。
 しかも、その当時から気温と湿度が高い夏場はウィルスの動きを抑えられ
るが、冬場はそうはいかないだろうと指摘されていたはずだ。
 7月に少し下火になってきたと見るや、前倒ししてGoToキャンペーンで
人の動きを後押しし、奨励して感染者数が増加しているにもかかわらず、寒
冷期に入っても停止しようとしなかったことが、急速な感染拡大を招いたと
いうことは火を見るより明らかだ。

 ここに一冊の本がある。『日本史の探偵手帳(文春文庫)』という本だ。
著者は『武士の家計簿』などの著作でお馴染みの歴史学者の磯田道史氏。
この『日本史の探偵手帳』が出版されたのは、二年近く前の2019年1月で
ある。つまり、奇しくも新型コロナの騒ぎが始まる一年ほど前に書かれた
ものである。その中に今回のGoToキャンペーン強行を彷彿とさせる興味
深い一文がある。以下引用する。

 『自動車が崖に向かって猛スピードで走っている。車中の人々は、誰も
  前を見ず、ブレーキを修理したり、エンジンの調子を整えたりしてい
  る。運転手も視界が悪いと窓を拭くばかりで、肝心のハンドルを握っ
  ていない。満州事変から敗戦に至る日本は、例えるならば、運転手が
  よそ見をして、ハンドルから手を放していたために崖から海に転落し
  ていった車に見える。運転手として、国のハンドルを切り、ブレーキ
  を踏まなければならなかったのは誰か?それは戦前のエリートにほか
  ならない。政治家や官僚、軍人たちである。』
 
 多くの人が移動し、その多くの人が接触すれば感染拡大の怖れがあるこ
と、しかも気温と湿度が低下する季節を迎えればウィルスが活性化すると
指摘されていながら、“経済をまわす”ことに目を奪われ、キャンペーン
を強く推進した状況とダブって見えるのが、ここに書かれた無謀な開戦時
から敗戦への模様だ。
 その結果、第三波に襲われ、『勝負の三週間』とかけ声をかけた一方で、
何ら有効な手を打たなかった政権の無策が、さらに感染拡大をもたらし、
ついには医療崩壊の危機が叫ばれる状況まで招いてしまった。
 多くの国民に物見遊山に出かけよ、と背中を押し、“油断”“緩み”の
気分を醸成させてしまったことへの責任は大きいはずだ。

=この稿続く=

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