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民主国家の危機6

 ここまで書いてきたところで、東京五輪にまつわる騒動が起きてしまった。
 森義朗組織委員会会長の女性蔑視発言が取り沙汰され、国内外から批判の
声があがり、辞任に追い込まれるという事態とその後の様子である。
 女性を蔑んだ覚えはないというが、オリンピック憲章には『人種、肌の色、
性別、性的指向、言語、宗教、政治的またはその他の意見、国あるいは社会
的な出身、財産、出自やその他の身分などの理由による、いかなる種類の差
別も受けることなく』と明記されていて、多様性を尊重すべきだとする理念
が掲げられているのだ。
 こうした理念を実現するための全世界にわたる意志的な動きこそが重要で、
その頂点として開催されるのが、オリンピック大会だという認識を地球規模
で持つことこそ望まれているのだ。
 いやしくも「組織委員会の会長」であれば、そのような認識をベースとし
て持っていることが当然であろう。ご本人は“ウケねらい”の冗談のつもり
でつい言ってしまったことかも知れないが、まるで朱子学を奉じた江戸期の
男尊女卑社会の人間を彷彿とさせる物言いに驚き呆れるばかりである。
 会長を辞任する際の会見で見せた未練気な様子からも、「多様性を認め尊
重する」ということについて心底理解しているようには思えなかった。

 多くの人が違和感と反感を覚えたのは、『女性がたくさん入っている理事
会は時間がかかる』という発言、その一方で評価する女性理事を評価する際
に語られた『わきまえておられる』という発言であろう。
 しかし意見を戦わせて、合意形成を図りよりよいものを構築しようとすれ
ば時間がかかることは当然のことで致し方がないはずである。
 民主主義とは“めんどう”なものなのだ。意見を出し尽くして誰もが納得
できる結論を得るということを前提にしているのが民主主義なのだ。だから
『たとえ多数決で決まっても少数意見があったことを尊重する』という姿勢
が重要なのだ。“めんどう”で安易に決め過ぎないことこそ大切だということ
が民主社会を深化させる上での暗黙の了解事項なのだ。
 議事の上すべりな進行を妨げないように“わきまえて”意見表明すること
を自ら抑制することが優先されれば、もうそれだけで民主主義の前提が崩れ
てしまうのだ。
 民主主義を標榜する日本をリードすべき総理大臣まで務めた人間であれば、
そうしたことについての理解は十分になされていて良いはずだが、どうやら
そうではなかったらしいことが窺える。

 森会長は、つまり女性蔑視につながる発言、民主主義に反するような発言
という二つの意味で認識過誤をしているということが言える。
 しかも、もっと言えばそれらの発言が五輪憲章の最も重要な理念に反する
もので、その発言が一般人からではなく東京オリンピック・パラリンピック
を統括する「組織委員会長」の口で語られたものであるということが、世界
の人々から『どういうことだ』『日本でオリンピックをして大丈夫なのか』
と疑念と不信感を抱かせることにつながってしまったのだ。
 
 さらに驚くことに、自ら会長職を退くにあたって、組織委員会の評議員を
務める川淵三郎氏に密かに就任要請をしたという。自らの責任をとってその
任を退く本人が、後任者を指名するという組織を無視するかのような振る舞
いは、どうした心根から生じるのだろう。
 推測するに、公平で透明性のある決定過程を視野の外に置き、「根回し」
をすることで、自分にとって都合の良い結論に導くためのカビの生えたよう
な古色蒼然とした手法に慣れてしまい、感覚が鈍化してしまったということ
なのではないだろうか。
 さすがに組織からも「密室政治」との批判がなされ、改めて候補者検討委
員会が設置され、選定方法や候補者の検討に入ったという。
見るところ、最後の最後まで批判されているいずれの内容についても、良識
をもってまっとうな理解がなされていなかったのではないかと思われてなら
ない事態である。

 この度の東京五輪にまつわる混乱や新型コロナの「収束が見えない」感染
拡大の景色は、現在の日本が抱える多くの実情と課題を明らかにしてくれた
ようである。

=この稿続く=

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