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民主国家の危機8

 政府は新型コロナウイルス特別措置法に基づき首都圏1都3県に発令中の緊
急事態宣言を21日までで解除する方向で検討しているという(この稿を書い
ている時点での話である)。
 下げ止まりが続いている中、更には変異ウィルスによる感染が広がりを見せ
ている状況下で「宣言解除」する方向で検討したいということに懸念と疑念を
覚えるのは私一人ではあるまい。
 聞けば『現在の対策ではこれ以上の改善は見込めない』ということが主たる
理由のようだが、この下げ止まりの状況を食い止めるために、緊急事態宣言の
延長を発出してから何か有効な具体策をとってきたように思えないにもかかわ
らず、まるで他人事(ひとごと)のように(あるいは責任転嫁をするかのよう
に)、『これ以上の改善は望めない』と断じてしまうことに、何としても経済
を回すことの方に目が向いて前のめりな、この政権の姿勢が浮き彫りになる。

 磯田道史氏の『「感染症の日本史」(文春新書)』によれば、およそ100年前
に全国で猖獗をきわめたに“スペイン風邪”に対する政府の無策を嘆いた与謝
野晶子が『感冒の床から』という文章で批判をしていたという。
(以下引用)
 『盗人を見てから縄をなうというような日本人の便宜主義がこういう場合
  にも目に付きます。どの幼稚園も、どの小学や女学校も、生徒が七八分
  通り風邪に罹ってしまって後に、ようやく相談会などを開いて幾日かの
  休校を決しました(中略)政府はなぜいち早くこの危険を防止するため
  に、大呉服店、学校、興行物、大工場、大展覧会等、多くの人間の密集
  する場所の一時的休業を命じなかったのでしょうか。そのくせ警視庁の
  衛生係は新聞を介して、なるべくこの際多人数の集まる場所へ行かぬが
  よいと警告し、学校医もまた同様の事を子供達に注意しているのです。
  社会的施設に統一と徹底との欠けているために、国民はどんなに多くの
  避けらるべき、禍を避けずにいるか知れません(pp31..pp32)』
 当時ですら、“人が動けば感染が広がる”ということを理解していた人々
がいたということの証左であろうし、対策が遅いと見た人々がいた証でもあ
ろうが、それは現在の日本の姿と重なって見える。

 同書では、江戸期の日本で明君の誉れ高い米沢藩主、上杉鷹山についても
書かれている。
 当時全国的に感染が拡大した痘瘡流行に際して多くの藩が、藩主と藩士へ
の感染を怖れて登城禁止と藩主への面会を禁じた中、鷹山は役所の業務が停
滞することを防ぐために、登庁を許可する旨の指示を発したという。
 記述によれば米沢藩には、(以下引用)
 『最先端の医書のコレクションをもっていました。そのもとは、同藩の家
  老だった直江兼続です。蔵書家としても知られる直江は、秀吉の朝鮮出
  兵の際、300巻からなる医書『新世救方』をすべて筆写させるなど、貴
  重な医学書も集めていたのです。(pp.91)』
とのことで、感染症に対する豊富な知識をもとに、その「登庁許可」の判断
をしたのだろうと推測される。
 役所の業務が停滞し機能がストップしてしまえば、領民が困窮することが
目に見えており、自分たちを守るよりも領民を守るということを優先させた
鷹山の政治姿勢がここにも窺える。
 そればかりではない。
 前出の引用を続けると、
 『~医療の無償提供です。加えて、こうした施策を進めていることが知ら
  れているのは「まだ城下町だけで、遠方には伝えられていない」と、
  遠隔地域の領民にも目を配っています。都市と山間部の医療格差を問題
  にしたのです。(中略)「薬剤方」と「禁忌物」に関する心得書を刊行
  して、遠方の山間部の人々にまで配布しました。地元の医者に対して
  は、「上手な医者の指示を受けて、治療に携わるように」と命じていま
  す。情報の共有などによって、医療格差の是正に取り組んだのです。
(中略)鷹山は、「御国民療治」という言い方をしています。「国民」、
つまり大切な藩の領民は、必要な医療を受けなくてはならないという
強い意思に基づいて、次々に手を打ちました。江戸時代に「藩主よりも
領民のほうが大事だ」という意識を持った為政者がいたのです。』(pp.93..94)
 封建君主であっても領民あっての君主であり、君主の務めは領民を保護す
ることだとの信念を貫いた為政者が存在したことを日本人は誇って良い。
 
 翻って現在の我が国の為政者の姿はどうであろう。自己の権勢を誇るため
に、そして自己の権益を守るために政治をほしいままに操ることを念頭に、
進言や諫言を排除し異見に耳を貸さず利己的な方策に走る姿ばかりが際立っ
て見える。
 そうした自身の本性があってのことなのだろうか、「人間とは本来利己的
なものだ」という人間観を持っているのかも知れないと思わせるのが、菅氏
の打ち出した政策の“ふるさと納税”であり“GoToキャンペーン”だ。
 ふるさと納税では、ついには返礼品めあての「お得感」競争の浅ましさを
“売り”にした、故郷への応援とはかけ離れたものに成り下がってしまった
感がある。一部の観光業者と物見遊山に出かけるゆとりのある者だけが利を
得ることのできる『出さなきゃ損、行けばお得』という、これも(私に言わ
せれば)人間の浅ましさに働きかけ訴えるものでしかあるまい。その一方で
これを歓迎する一握りの国民から支持が得られれば一石二鳥だと考えている
のであろう。
 コロナ禍のさなかにあってもGoToキャンペーンを前倒しで行い、その為
に感染が拡大してしまったにもかかわらず、第三波が収まりかけたと見るや
またそのキャンペーンを再開させたいと意図していることに、「国民全体の
安心・安全を思い、手堅く確かで合理的な判断のもとに方策を実践する」と
いう望ましい為政者の姿とは対極の構えしか窺えないことは、すこぶる残念
なことである。
 
 =この稿続く=

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