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五輪について考える 2

 先日8日の党首討論でも、菅首相は相変わらずコロナ感染拡大にを防ぎつつ
五輪を開催できるとは思えない、すなわち有効な手立てとは思えない抽象的な
対策について主張し、五輪を強行する旨の発言をしていた。(一方で自身の五
輪にまつわる思い出話を延々としたことは、呆れるばかりで噴飯ものだったが、
そのことについてはここでは触れない)
 それを補完するように、橋本聖子オリ・パラ組織委員会会長が会見で「安全」
を実現する方策として、(実効性は疑わしいが)二つの対策を示していた。
 一つはワクチン接種であり、一つは選手や大会関係者を「検査と隔離」で囲
い込むという手段である。
 そして二つ目の“隔離”については、GPSを活用して厳格に行動管理を徹底
するということだ。
 しかしGPSは単なる“位置情報”を示すシステムでしかない。
数万にものぼると言われている大会関係者の位置情報を、「誰が」「どう」監
視するというのだろうか。
たとえ事前に一人ひとりの行動計画書を提出させてとしても、その計画にない
場所に足を踏み入れたとしても計画書の記述との同異をチェックする人間(あ
るいはシステム)がなければ、有効に機能するはずはない。

 とりわけオリ・パラの開催に際して訪れる報道関係者は、競技だけではなく
開催国の一般市民の様子などについても、さまざまな側面から情報を得ようと
するはずだ。想像するに、市中のあらゆる場所で市民を観察したり、国内の動
きなどを眺めたりするために熱心に動き回るに違いない。そのために監視の目
をくぐり抜ける周到な手段を駆使する人物もいるであろうことは想像に難くな
い。
 GPSや市民の目だけで人の動きを抑止できると考えているとすれば、あまり
にも長閑な“ゆるい対策”だと言う他はない。
それをもってして“安全”な大会だから『安心せよ』というのは、楽観的過ぎ
るのではないか。善人ばかりが来訪するとは限らないからである。

 感染は競技大会の会場だけで起きるのではないはずだ。それ以上に来訪者と
国民の目に見えない接触による感染の方が強く懸念される。水際対策をしっか
りするとは言うものの、どうやら現在までの水際対策もずいぶんと甘く、一定
期間の隔離すら覚束ない様子である。オリ・パラ期間中に大挙して訪れること
が予想される来訪者に対する手立ては十全だと、政府やJOCの責任者は胸を
張って言える状態なのだろうか。

 考えられるだけのあらゆるリスクを想定し、それらを避ける対策を用意周到
に打つということが危機管理の要諦であるにもかかわらず、そうした姿勢が窺
えないのは、頗る残念なことだ。
このコロナ禍にあって、しかも感染力の強いハイブリッド変異株による感染の
怖れが懸念される中で、『決まったことだから止めることはできない』とばか
りに強行するというのは、理性的で合理的な姿勢ではあるまい。
強行開催しても、開催時の祝祭気分に充たされれば政権への支持率も上向くに
違いないなどという“政治的な思惑”で開催すべきでは決してない。

 わからないのは、このオリ・パラの責任者は誰なのだろうということだ。
 菅首相は開催に前向きな発言を繰り返しているが、『私自身は主催者ではな
い』と言う。それなら開催都市の小池知事なのだろうか。それともオリ・パラ
組織委員会会長の橋本聖子氏なのか、あるいはJOC会長の山下泰裕氏なのか。
 というのも、オリ・パラ後に感染が恐ろしいほどに拡大し、過酷な状態に陥
った時に“誰が”“どう”責任をとるのか、見えないことが“無責任な”主張
に思え、それが国民の不安をかき立てていると思うからである。
 それでなくても、安倍政権発足以来、何が起きても誰も責任をとらないとい
う政治状況が続いており、国民には不信感が根強くあることに加え、菅首相の
「答弁にならない答弁」の姿を見て不信感をいっそう募らせており、責任の所在
を明確・鮮明にした「責任ある発言」を望んでいるさなかだ。

 今回のようなパンデミック禍の中で、まるでギャンブルでもするように感染
リスクを度外視してオリ・パラを強行するというのであれば、開催を強く主張
した人物(あるいは組織)は、それなりの覚悟をもって主張しているはずで、
その責任はずいぶんと重いということを自覚し、表明すべきだ。
何と言っても、状況によっては「多くの人の生命と引き換えに」国際運動会を
やろうとしているのだ。その重みを受け止め、その重みに耐えることができる
かどうかを自らに問い、それにどう応えるべきかを自らに課す覚悟を持って欲
しいものだ。
 今「多くの人の生命と引き換えに」と書いたが、“多くの人”とは日本国民
だけではない。大会期間中に日本を訪れる人、そしてその人々が帰るそれぞれ
の国の人々、つまり世界中の人をさして言ったつもりだ。
 なぜなら、東京に参集した五輪関係者によって相互に感染し、感染者の体内
でコロナウィルスが変異し、それを日本国内で撒き散らしたり、それぞれの自
国に持ち帰って感染を広げたりすることが容易に想像できるからだ。
それだけの重責を担って開催の可否を判断するのだという覚悟を持ってもらい
たいし、そうでなければならないはずだ。
 可能ならば、このオリ・パラの開催を積極的に推し進めようとしている人物
一人ひとりに、この五輪が世界的な(そして国内でも)いっそうの感染拡大に
つながったりした場合には、『このように責任を取ります』ということを表明
してもらいたいほどだ。
 
 その一方で、こんなことも考えている。
 もしも、この世界的な危機にあって、五輪を開催すればさらなる感染拡大が
起きてしまうことが十分予想されるので、そのリスクを回避するために日本は
五輪の開催を返上する、あるいは取りやめると英断を下せば、日本という国は
“合理的で知性に基づいた判断のできる国”として世界から賞賛されるばかり
か、大会そのものも理性的な決断で中止された“歴史に誇る大会”として記憶
に残る歴史的な大会になるであろう。
 それは危険な「賭け」に出た危うかった大会として歴史や記憶に残るよりも、
ずっと誇らしいものになるに違いないと思うのだ。
国民の多くが、そして世界各国がどちらを望ましいと思うか、IOCもJOCも、
そして都も政府も冷静に判断して欲しいものである。
後の世に禍根を残すことのないように。そして恥じることのないように。
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