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オリ・パラ開催の是非を問う

 コロナウィルスの変異株による感染が拡大し、パンデミックの怖れがあるに
もかかわらず、オリ・パラを開催するかどうかの議論は影をひそめ、いつの間
にか大会を有観客で行うか無観客で行うかを議論するようになったかと思えば、
それも棚上げにして観客数を何人にするかといった具合に、なし崩し的に
開催に向けて動き出してしまったようである。
 
 事前合宿で訪れたアフリカのウガンダの選手9人のうちの一人が感染者であ
ることが判明したにも拘わらず、空港検疫で濃厚接触者の検査・指定もせずに
大阪泉佐野市に移動させてしまったと報じられた。しかも検疫では、事前合宿
をする市の保健所で濃厚接触者の検査をしてしかるべき対応をすべきだと考え
ていたという。
 これが政府の言う「安全」を確実にするための「水際対策」ということだと
すれば、まるで水漏れがしても致し方のないザルのような“緩い水際対策”と
しか言いようがあるまい。「水際対策」とは、「水も漏らさぬ万全の手立て」
を構築し、危険な要因を排除し食い止めることに他ならないはずだ。
 たった9人の選手団ですらこの有様だ。これからその比ではないほど数多く
のアスリート、大会関係者、メディア関係者が続々と入国してくるのだ。
本当に“確実”に“水際”で食い止めることなどできるのであろうか。
素朴な疑問を抱かざるを得ないし、そうできると政府もIOCもJOC考えて
いるとすれば、余りにも楽観的だと断じざるを得ない。
 
 そもそも、水際対策を万全にと考えるのであれば、詳細にわたる緻密な計画
が必要であるにも拘わらず、それが出来ていなかったとすれば、それはリスク
を想定することが出来ていなかった「想像力の欠如」を露呈したものだ、とい
うことになる。不思議でならないのは、『リスクを避けるために有効なこれだ
けの手を打った』という具体的で根拠の確かな説明もなしに『安全だ』という
主張を繰り返すだけの空虚な訴えが“通ってしまった”ことだ。
 根拠のない気合いで大会を強行しようとする姿勢は、まるで連合国軍を相手
に無謀な戦争を仕掛け、幾多の兵士や国民を犠牲にし、惨敗するに至った先の
大戦を思い起こさせる。
 その開戦時には、大正デモクラシーを経験した市民でさえ、まるで熱に浮か
されたように快哉を叫び、日の丸の小旗を振って沸き立ったと言われている。
 政府とJOCは、どんなにオリ・パラの開催に反対しても、いったん大会が
行われ日本の選手が活躍すれば、(あの開戦時と同じように)国民は沸き立ち、
開催して良かったと思い、ひいては政権の支持率浮揚に大いに貢献するだろう
という期待を持っているのであろう。

 だが、従来のコロナウィルスだけでなく、デルタ型の変異ウィルスが感染の
多くを占めるようになり、感染者の増大はさらに新たな変異株の出現が起きる
ことも予想される。
 そうなれば、日本国民だけではなく、各国のアスリート、大会関係者、さら
に報道関係者がそれを自国に持ち帰って蔓延にいっそう拍車がかかるであろう
ことは想像に難くない。
 聞けば、既に入国している関係者の中には、ホテル付近のコンビニやレスト
ランなどに自由に出入りしているというし、公共の交通機関を利用して活発に
移動しているというではないか。
 それは入国者の行動管理をアプリその他で徹底するという方針が、有名無実
なものでしかないということの証左だ。こんなことで管理することは不可能だ
ろうという筆者の予想は、的外れではなかったと見ている。

 どこからどう見ても、政府の言う「安全」が心許ないものでしかないように
見受けられて仕方がない。本日(6月30日)夕刻の報道で、東京の新規感染
者数が714人、死者が3人と報じられた。
700人を超えたのは5月26日の743人以来のことだ。
感染者が前の週の同じ日に比べて増えたのは11日連続となったという。
都内の直近1週間の人口10万人当たりの新規感染者数は約25.5人となり、
緊急事態宣言を発出する目安の一つである「ステージ4」相当の基準となる
25人を超えたとのことだ。
 厚労省で開かれた専門家の会合では、都内の今後の感染状況のシミュレーシ
ョンが報告され、それによると、「まん延防止措置」の効果が不十分な場合、
インド型ウイルスの影響が少なかったとしても、来月中旬には一日の感染者数
が1000人を超える可能性があるし、五輪期間中に人出がさらに増加した場合、
感染者の数は来月下旬には一日2000人を超えると試算していると報じられた。
何をもってして『安全な大会』と胸を張れるのか、理解に苦しむばかりである。

 世界各国に新たな変異株を野放図に持ち帰らさないために、そして確かな判
断を下して『人類にとって歴史に残る素晴らしい開催取りやめ』をしたオリ・
パラとして記憶されるものにできる良い機会だ。少なくても人類を危機に陥ら
せる“イチかバチかの賭け”を、日本国内の政治的な思惑でする愚行は絶対に
避けるべきだ。オリンピック精神の発露は、そんなギャンブルとは無縁のもの
だし、最も遠い対極にあるものだと考えるからである。

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