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歴史から学ぼうとしない過ち2

 国連(国際連合)は、第二次世界大戦の反省に立って設けられた国際組織で
ある。その目的が○国際の平和と安全を維持すること、○諸国間の友好関係を
発展させること、○経済・社会・文化・人道的性質を持つ国際問題の解決及び、
人権と基本的自由の尊重の促進について、協力すること、○これらの目的を達
成するための諸国の行動について、中心となって調和を図ること、であること
は多くの人々に知られ、しかも納得と合意をもって迎えられていることは周知
のことである。
 そこでは、国際間で起こる諸問題について、“平和と安全”そして“人道”
を重視しつつ合意を図りながら“武力に依らない”解決の道筋を形成すること
が重要だとの考えがベースにある。

 国連憲章には、
 ○国際関係の規則や原則
 ○各加盟国の権利と義務
 ○目標達成のための行動指針
 ○国連の主要機関や手続き
の項目が規定されており、当然のことながら加盟国は、この憲章に定められた
目的や原則を受け容れた国で、その実現に受けて協働することが求められるは
ずだ。

 しかし残念なことに、近年自国主義、覇権主義さらには拡大主義とでも言う
べき姿勢をむき出しにし、他国民や他民族(自国民であっても)を差別したり
分断したりする国、そして指導者が出現し憲章に反する振る舞いが横行するよ
うになってしまった。
 ここで思い出されるのは、国際社会に於ける戦前日本の動きだ。先述のよう
に「国際連合」が組織されたのは、第二次世界大戦の反省に立って「国際間の
紛争解決に武力を用いることの愚かしさと怖ろしさ」を二度と繰り返してはな
らないという世界の強い認識に立ってのことだということである。
 大戦に突入してしまったのは、当時の国際連盟が破綻してしまったからであ
るが、その一因となったのは他でもない日本の国際連盟脱退である。
 その国際連盟の常任理事国として主要な役割を担っていた日本であったが、
1931年日本が満州国を占領し、満州国を建国。国際連盟が満州国の存続を認
めなかったことで1933年に日本は国際連盟を脱退したのだ。
 その後、ドイツ、ソ連、イタリアなどが続々と国際連盟を脱退し、第二次世
界大戦の勃発を国際連盟が阻止できなかった理由の一つだと考えられている。

 大戦当時から日本はアジア諸国への進出の大義名分として『大東亜共栄圏』
『八紘一宇』を掲げスローガンとしていたことは周知のことだ。
 『大東亜共栄圏』とは、文字通り東アジアの諸国が日本を核として共に繁栄
すべきだという考えのことであり、『八紘一宇』とは、四方四隅の国々、すな
わち全世界を天皇のもとに一つの家とするという意味である。
 当時の日本がアジア諸国に進出するにあたって、その侵攻を正当化するため
に、このような不遜な口実を設けていたということを考える時、まるで現在の
ロシアの姿と瓜二つだと言わざるを得ない。
 ロシアも『同胞をネオナチの虐待から救う』のだとして、ウクライナに侵攻
しているからだ。言うまでもなく、虐待の事実などないにもかかわらずだ。
 しかし、その同胞の国の子どもや老人を含めた無辜の市民を攻撃の対象とし
ていること、攻撃すべきでない学校や病院までも攻撃の対象とするなど、無法
で見境のない戦闘を仕掛けている姿からは同胞を“守る”という意思を見て取
ることはできまい。
 
 そして何よりも『大東亜共栄圏』『八紘一宇』をスローガンとした大戦前の
日本同様、自国の傘下に入ることが『栄え救われる道』だとする思い上がりに
充ちた不遜な構えにこそ、一個の独立国である他国への侵攻が身勝手な理不尽
さが表れているはずだ。どう言いつくろってみたところで、ロシアの行為は絵
に描いたような国連憲章違反だと言える。ましてやロシアは国連の国際の平和
と安全に主要な責任を持つの安全保障理事会の常任理事国(中国、フランス、
ロシア、イギリス、アメリカ)の一つである。
 そのロシアがこのような憲章違反を犯すという事態は、何よりも常任理事国
としての立場をわきまえない、そして国連の機能をないがしろにしているとい
う意味で国際社会に対する裏切り行為だと言って良い。

 かつて彼我の国力の差を度外視した無謀な戦争への道を進んだ結果、日本は
第二次世界大戦で敗戦を喫したが、その過程で自国民のみならず、アジア太平
洋諸国に於ける犠牲者二千万人以上という史上最大の惨害をもたらしたのだ。
いま「犠牲者二千万人以上」と書いたが、数字で表現してしまうとその実感が
薄れてしまうおそれがあるが、そこで失われたのは一人一人名前を持ち、かけ
がえのない人生を生きていた生身の人間なのだ。敵・味方の区別なく、本来失
われるべきでない命が“二千万人以上”であったことを考えると、戦争がもた
らす罪深さについて深い実感が湧くはずだ。

 かつていにしえの中国で『人ひとりを殺した男は死刑となる。だが、百万人
を殺した将軍は、かえって英雄として絶賛をあびる。この矛盾を黙って見過ご
してよいのか。この矛盾を成り立たせているものは何か、について考え、戦争
が本質的に殺人行為である』として、「非攻」を説いた墨子の言をまたずとも
21世紀の現在にあっても、「殺人行為」に“理”があるかのように一方的に戦
いを仕掛けるということに、長い人間の歴史から何を学んできたのか、と慨嘆
せざるを得ない。

 そうした歴史の反省に立って、国際的な平和と安定について深い認識と理解
を持つべきなのが、安全保障理事会の常任国なのではないかと強く思われて仕
方がないが、今のロシアはその対極にあるとしか思えず、それゆえに諸国から
の信頼を大いに損ない、信頼回復への道は遠いものになるに違いないだろうと
思うのだが、いかがであろうか。


=この稿続く=
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