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安倍元総理死去に際して思うこと

 自民党の安倍元総理が、参院選の応援演説のため訪れた奈良県大和西大寺駅前での
演説中に午前11時半頃、背後から銃撃され、午後5時3分死亡した。
 この時代にこんな非道な暗殺事件と呼んでも良いような蛮行が行われると誰が想像
したであろうか。相手が誰であれ、自己の主義・主張と合わないからといって銃撃す
る、しかも民主主義の根幹をなす選挙活動のさなかに行われたということなどあって
はならないことである。
 一方的な暴力や蛮行によって相手をねじ伏せるということは、知性や理性を働かせ
て、互いに納得できる“よさに向かおう”とする理想的な社会、合理的な社会、生き
る喜びが実感できる社会・国づくりとは対極にあるもので、決して許されるものでは
ない。
 この襲撃事件が起きた直後から、報道各局のニュース番組で、こうした暴力的な行
いがあってはならないということを強調するためか、安倍元総理を“外交面で成果を
挙げた”とか“長期政権を保ち”“リーダーとしてその任を果たした”政治家であっ
た“希有な存在”な存在なのに惜しいということを報じる場面もあった。
 殺害することの非を断じることと、殺害された人物を惜しむあまり(ありもしなか
ったよさを列挙して)賞賛することは、別の次元のことだ。

 考えるまでもなく、安倍政権時代には、彼の時代錯誤な前時代への郷愁や民主主義
への無理解と誤認を背景にした非民主的な言動や対応による問題が続発し、政治と政
治家の劣化が著しく進行したものである。
 彼の政治行動と周囲の忖度により、職を追われた人や自ら生命を絶った人、汚職の
責任を身代わりのように負った人などがおり、いまだにそうした疑惑の解明もなされ
ないままというのが実態だ。
 一方的で身勝手な殺害行為によって、かけがえのない生命を絶たれた安倍元総理だ
が、その不条理な行為を断じることや死を悼むことと、安倍元総理の政治的な諸問題
から目をそらし、賞賛して伝えるということとは別の問題だと強く思われてならない
のだ。
 メディアにはニュートラルな立場から、より冷静・客観的に今回の殺害行為の事実
を報道するという姿勢こそ求められるはずだし、自らがそうした姿勢に徹しようとす
る報道理念を持つべきであろう。
 
 翻って思うことだが、いま私が最も怖れるのは、殺害された安倍元総理を悼む余り、
自民党に対する同情が強まり、国民の投票行動にある種のバイアスがかかるのではな
いかということだ。
 今回のロシアによるウクライナ侵攻で浮き彫りになったように、これからの難しい
時代の波の中で、どう舵取りをするかが国会に問われているのだ。
 そして参議院は衆議院での決議をしっかりと見据え、「良識の府」としての機能を
存分に果たすことが求められているのだ。ゆめゆめ知名度の高さや同情といった浮薄
な理由で投票行動を決定するということがないよう、自戒をこめて思っているところ
である。

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