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やはり

 先日の読売新聞に次のような記事を見つけた。
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 今年4月、43年ぶりに実施された全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)で、学校現場がテスト対策に追われている事例が、19日までの4日間、広島県内で開かれた全日本教職員組合(全教)の教育研究全国集会(教研集会)で報告された。文部科学省は、普段の学習の成果をはかるため、事前のテスト対策は行わないよう求めており、「特別な対策は必要ないはずなのに」と当惑している。
 今回の教研集会では、「全国学力テスト」をテーマにしたパネル討論が行われ、この中で京都府内から参加した教諭が、京都府八幡市教育委員会が今年2月、各小中学校に、点数アップのための取り組みを計画書にまとめ、提出するよう指示していたと報告した。
 同教委は、事前に公表れていた予備テストの問題を授業中に解かせたり、予想問題を作成して春休みの宿題にしたりといった具体策を例示。これにならって、各学校は、計画書を教委に提出したという。「今日の教育改革」の分科会では、東京都足立区の中学校教諭
(58)が発言。同区内の小学校では、昨年4月の区独自の学力テストの際、校長や教員による正解誘導行為が発覚している。この教諭は「成績が学校の評価に直結するので、冬休みに補習をしたり、朝の授業前に過去のテスト問題を繰り返し練習させたりといった対策を日常的に行ってきた」と打ち明け、「学校に過剰に競争原理を持ちこめば、ほかの自治体でも同様の不正が行われる」と訴えた。
                            読売新聞朝刊 2007/08/20
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 情けないことだが、こうした状況が出来することは誰しもが予想したことであろう。
 さらに「情けないこと」に、ここで訴えられていることが、こうした対策と呼べないような付け焼き刃の対策を学校が独自に案出し実施しているのではなく、行政の指導(市教委の指導)によって学校が「行わされている」ことだ。
 学校をサポートし指導する立場の行政が、こうした安易な指導を行っているということをどう見ればよいのだろうか。
 仮に事前のテスト対策や正解誘導行為で児童生徒のテスト結果が好ましいものになったとしても、それが本当の「学力の伸びを示すもの」「学力の実態を映し出すもの」と言えるかどうか、教育関係者ならすぐにわかりそうなものだ。

 おそらく、八幡市教育委員会の面々も、そのようなことでは「学力の実態」を把握できないであろうことは重々承知をしていたはずだ。
この問題の悲しさは、そうわかっていながら、そうせざるを得ないところに現場が追い込まれてしまったことにある。
 安易に市場経済の競争原理を「教育」にもあてはめ、その論理で「テストで高い得点を取ることが教育の成果である」とする、小泉→安倍と続く政権の教育政策がそうした状況を生んでいることは間違いのないことであるし、それが「教育」にとって好ましいものでないこと、「教育」がそのような低次な論理で考えたりなされたりすべきものではないことは言うまでもないことである。

 こうした教育とも呼べないような教育活動が行われてしまうような状況が出来するであろうことを想定していながら、なおかつ市場経済の競争原理で教育政策を推し進めようとする現政権の目論見がどこにあるのか、よくよく目を凝らして見きわめなければ日本の将来は「ほんとうに危うい」ものになってしまうであろう。
 (いま「想定していながら」とつい書いてしまった。しかし、本当に「想定」していたか、できていたかは定かではない。何と言っても、現政権の際だつ特徴は想像力の欠如によってもたらされる「危機管理意識の低さ」にあるのだから。)
 そうであるにもかかわらず、教育基本法が改訂されたことを挙げて、その趣旨やこれからの教育のあり方を論じ解説する書籍を出版する「政府のお先棒かつぎ」のような教育学者も一方にはいる。困ったことだと思わざるを得ない。

 教育とは時の政権の都合で左右されるような「思いつきで」施されるべきものではない。
 理念や理想を忘れた教育、科学的で地道な研究の成果をないがしろにした教育、人間を育むことを無視した教育は「教育」ではない。為政者にとって都合の良い人間を育てることを求めるなら、それは「教練・調教」でしかない。
 子どもは、そして市民は「教育されるべき存在」ではない、「教育を受ける権利を有する主体」なのだという一事を考えただけでも、現行の教育基本法の骨格をなす基調に過ちが認められるはずで、そこから生み出される種々の教育政策が「教育の精神」に叶ったものにならないであろうことは大いに予想がつく。
 教育現場がこれ以上混乱しないためにも、そして子どものよりよき成長にとって望ましい教育が展開されるようにするためにも、この愚かな現政権がつくり出してしまった教育基本法を可能な限り早い時期に見直し、元に復するか改めるべきである。


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