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民主国家の危機5

 暮れから新年にかけて、『勝負の三週間』と言い立て、さらに『真剣勝負
の三週間』を過ぎても、一向に新型コロナ感染拡大が収まらず、とうとう
1/8~2/7の期間を埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県の一都三県に、さら
に1/14~2/7まで栃木県、岐阜県、愛知県、京都府、大阪府、兵庫県、福岡
県に緊急事態宣言を発出した。
また、その他の県でも独自に緊急事態宣言を出す動きも出ている。
 
 一方で、菅政権の支持率は、毎日新聞と社会調査研究センターが16日に
行った調査によると33%、不支持率が57%と不支持率が大きく上回ったと
伝えられている。
 この政権のコロナ感染拡大に対する対応に対する不満や不信、さらに危機
管理能力に対する不信感が如実に表れているのだろうと思われる。

 しかし緊急事態宣言が発出され、不要不急の外出を避けるよう要請が出た
後も、首都圏の人出は昨年春の緊急事態宣言時に比べると、減少するどころ
か増加傾向にあるという。
 当然と言えば当然のことかも知れない。コロナに対する危機感が麻痺した
り、緊張感が緩んだりしているのだろう。あるいは政府の自粛要請そのもの
に『人との接触を避けることが確かに大切だ』と納得でき、今は外出を控え
て感染拡大を食い止める動きを起こさなければなるまいと強く思えない状況
にあるのかも知れない。
もちろん、自分たちは若いし、感染してもさほど深刻な状態になることはあ
るまい、という油断も生まれているのかも知れない。
 
 こうした油断や麻痺、緩みがどこから生まれたかと言えば、政府が推し進
めたGoToキャンペーンにあることは火を見るよりも明らかだ。
 多額の予算を注ぎ込み、観光地に行け、外食に出向けと国民の背中を押し、
医学の専門家から懸念が表明されてもおかまいなく、感染が拡大して批判が
集中し、支持率が下がるまで一向に停止に踏み切ろうとしなかったことが、
国民をして『出かけても良いのだ』、『外食をしても良いのだ』という気分
にさせてしまったのだ。
 ところが、予断を許さない感染拡大が起きた途端、手のひらを返すように
(地域を限定してではあるが)緊急事態宣言を発出し、しまいには要請に応
じない対象には“罰則を”などと軽々しく子どもじみた稚拙な対策を口にし
始める始末である、

 一般市民や事業者、病院などを罰則という強制的な手段で従わせようとす
るのが、お門違いであると認識できていないのだろう。菅総理は、官房長官
時代から官僚の人事を握ること、つまり政権にとって不都合な官僚を冷遇し
従わせてきた人物である。民主国家にとって、それが望ましいことでないの
は論を待たないが、その同じ手法と論理でコロナ対策をしていこうとしてる
かのようである。
 私は永年教職に携わってきた人間であるが、この風景は学校現場でよく目
にした光景を想起させる。
 児童・生徒は、学級会や児童会(生徒会)などで、話し合ったことが守れ
ないクラスメートがいたりすると、安易に罰を加えれば良かろうと結論づけ
ようとしたものだ。
 なぜ決まりを守れないか、話し合いで決定したことがらを守って自らを律
した方が自らにとって“良いことだ”と思ってもらえるように、周りの自分
たちに何ができるか、何をしてあげられるか、とその子の立場に立って考え
ることを放棄し、罰で“縛る”ことをまず考えるのだ。罰則で“縛って”も、
その子の成長や変容に寄与できないことに気づかず、安直に手っ取り早く問
題を解決できる術(すべ)として、罰則をと主張するのであった。

 現政権の持ち出した罰則を伴う法案についての報道に接して、まず第一に
思い浮かべたのは、上のような様子であり、何と子どもじみた、浅薄なことを、
という呆れた思いである。
 罰則をと言うなら、まずは政権側にこそ課されるべきであろう。
 先述のように、今次の感染拡大を招いたのはGoToキャンペーンに固執し
た失政やその後の後手後手の弥縫策とも言える失策、対応の迷走、危機管理
の甘さなどが要因だと考えられるからである。
 自らの失政や失策を棚にあげて責任を他に転嫁するかのような振る舞いは
『国民の安全と安心を』と公言するリーダーにあるまじき行為である。

 感染拡大を抑えるためには、まず外出を控え、他との接触を避け、無自覚
に大声で会話することを避けるなどのことが必要なはずだ。緊急事態宣言の
効果は、その点にこそあるはずだ。国民の多くが政府の説明に納得し、進ん
で“そうしよう”“そうしなければならない”と思い、自己の行動を積極的
に抑制する方向に向かうには、政府とりわけリーダーとしての菅総理の説得
力を持った呼びかけが必要であろう。
 そして、(ここからが大切なことだが)そのためには、これまでの自らの
失政について謝罪し、その失策を挽回すべく具体的に、そして詳細に練った
対策を示し、国民が納得でき得心の行く真摯な説明をすべきなのだ。
 
 今は全世界が同じ危難に、しかも解決の道筋が不透明な難問に立ち向かっ
ている時だ。ウィルスとの戦いに様々に知惠を絞って挑もうとしているので
あって、正解の見通せない混乱のさなかなのだ。
判断ミスもあるかも知れないし、善かれと思ったことが逆に効果をもたらさ
ないということもあるかも知れない。しかし、この一年間の新型コロナウィ
ルスとの戦いで学んだこと、わかったことも少なくないはずだ。
 その経験を通して、国として失策をおかしてしまったということがあれば
それを衷心から反省し、その失敗を生かすべき戦略を立て直すという姿勢を
もって国民に説明をすることが肝要だ。
 リーダーというのは、その覚悟をもってことにあたる責任を負った人間で
あるはずだ。ドイツのメルケル首相の言葉が国民の胸に響き、改めて戦いに
挑む構えを共有できているというのも、そうした覚悟と何よりも自らを真摯
に見つめ、科学的な目で省みる眼力をもって語りかける為政者としての構え
を貫いていることにあるはずだ。それが国民にもよくわかり、信頼できると
いう思いを強くするからこそ、彼女の呼びかけを受け容れることができるに
違いないと私は見ている。

 と思って見ていたのだが、昨日の(久々に開かれた、遅すぎる)国会での
施政方針演説を聞いて、大いに落胆した。

=この稿続く=

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