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五輪について考える

 東京オリンピックが二ヶ月後に迫り、コロナ禍のなか開催することに反対す
る声が日増しに高まっている。
 この東京オリンピック(以下、五輪)は、当時の石原東京都知事が言い出し
たことである。石原都知事は、東京マラソンを立ち上げ大勢にランナーの参加
実績をあげている一大イベントである。どうやらこの都知事は、大きなイベン
トを催し賑わうことで盛り上がれば、都はもちろん国全体も活気を取り戻せる
はずだという“深みのない信念”を持っていたようで、何よりも気分を高揚さ
せることができれば多くの面でメリットが生じると考えていたふしがある。
 かつて1964年に「驚異の短期間で戦後復興を遂げた証」として開催された
五輪は、文字通り“復興を為し得た”国の姿を見てもらうという「結果に基づ
く」意義を有していた。
 しかし、この度招致に動いた意義は“賑やかな国際イベント”を催すことで、
“落ち込んだ国内の空気を払拭”できるはずだという淡い期待、底の浅い期待
がベースとなっている。
 浮かれ騒ぐことで「真の活気」が生じるとは到底思えないのだが、アスリー
トはもとより国民の多くも国もそれを支持して動き出した経緯がある。

 オリンピックはかつてのように五輪精神を尊重する以上に、いつの頃からか
商業主義の色彩が濃くなり、いくつかの都市では開催辞退を宣言するという状
況になっている。2024年の大会では、カナダの都市カルガリー、ブダペスト
やドイツのハンブルクなどが撤退を表明している。何よりも多額の経費がかか
ることとそれに見合った「意義」が見いだせないことが主な理由である。
 にもかかわらず、日本は懸命に招致活動を行って来たが、当時から私はそれ
を冷ややかに見つめてきた。まるで昭和末期の実態のない狂騒のバブル期再現
を期待する雰囲気と同じ空気をそこに感じたからである。

 さすがにかつての東京オリンピックに比する意義が見いだせなかったのであ
ろう国が掲げたのは、東日本大震災から立ち直ったことを国際的に表明しよう
という「復興五輪」の旗印であった。東北各県がまだ復興に向けての道半ばの頃
のことである。
 招致活動の際に、安倍首相の弁じた『(原発』の汚染水は、完全にコントロ
ールされており、安全だ』という趣旨の発言には、多くの国民が驚き、呆れた
はずだ。あれから何年も経っているにもかかわらず未だに(国民の多くが納得
できる)“安全な処理”が見通せず、希釈して海に放出するしかない、という
事態にあるにもかかわrず、世界を相手に“大嘘”をついてまで招致したのだ。
しかも総理自らがピエロまがいにおどけた仕草で、スーパーマリオの扮装まで
して恥ずかし気もなく招致の先頭に立ったのだ。
 
 さらに、多額の出費が予想されることに国民の多くが懸念することを恐れて
か、「コンパクト五輪」ということも声高に言われた、しかし、ふたを開けて
みれば、“コンパクト”どころか『レガシーをつくる』のかけ声のもと、建設
予算は膨らみ続けたり、同時に『復興』もかけ声だけでいつの間にか有名無実
なものと化してしまった。
 そればかりか、招致活動当時から今日まで、疑惑や不祥事が相次いで起こり、
理念を置き去りにしてでも世界的なスポーツイベントをにぎにぎしく行えば、
国民は大喜びして政権になびくだろうという下心が透けて見え、益々この大会
に対する“イヤな感じ”が膨らむ思いがしたものである。

 そんな思いで、この大会を遠くから見る思いで眺めていたところ、昨年から
の新型コロナウィルスの世界的な感染拡大が始まり、政府の後手後手の対策、
あるいは見当違いの対策によって今や第四波のさなかである。しかも変異株の
感染の広がりも確認され、医療現場では対応しきれず、自宅療養を余儀なくさ
れる患者も増えて、文字通り「命の選別」が行われるほどの国難の事態に陥っ
ている。
 そうした国民の苦境と海外諸国の懸念をよそに、東京五輪の開催に前のめり
になる一方の政府の姿勢をどう評価したら良いのであろう。
 感染拡大の怖れがあるとして、6月20日まで緊急事態宣言の延長を決定し、
人流の流れを抑制する方針とワクチン接種の推進による効果を期待しているよ
うだが、50日後に迫った開催が現実的に可能かどうかは不明である。
 
 『コロナに打ち勝った証としての安心・安全な大会を』、『安全、安心な大
会を実現することにより、希望と勇気を世界中にお届けできるものと考えて
いる』と言う菅首相の言葉にいっそう不信や不安を抱く国民は少なくないはず
だ。そこに具体的で、有効な手立てや対策が窺えない、つまり危機管理に必要
な“危機の想定”もそれに対するいくつもの対処プランが見えないからだ。
 まるで敵を知らずに意気込みだけで挑もうとする“無謀”な賭けに出るよう
な姿勢ばかりが目につき、何と言うことかと慨嘆せざるを得ない。
 新型コロナ対策とこの五輪への姿勢からは、日本という国の舵取りを与る
政治の劣化と脆さ、危うさを自ら露呈するさましか見えないのは、国民にとり
頗る不幸なことと言わざるを得ない。

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