日本語とバスク語
この数週間、あるものを探していた。司馬遼太郎の本である。
何かの拍子に、『バスク人は日本人に容貌や言語が酷似していて、バスク語はヨーロッパ語圏にありながら言語の成り立ちが印欧語と格段に異なり、習得が難しい言語とされている』ということを司馬遼太郎の本で読んだことがあるのを唐突に思いだしたのだ。さて、何というタイトルの本に書かれていたことかという記憶が定かではない。必要があってのことでではないのだが、気になり出すと捨てては置けなくなってしまい、書斎はもとより我が家の書棚のあちこち、書庫として使っている近所の借家の本棚を探し回ったが見つからない。
記憶では、神が悪さを繰り返す悪魔をとらえ、そんなに悪さをするのであれば罰としてバスク語を習わせるぞと脅すとたちまちに改心した。それほど印欧語圏に住む人にとってはバスク語は難解な言語だ、といった内容だったと覚えている。そして、そのバスク語と酷似している日本語も同様に難解な言語として認知されているのだ、という文脈で語られていたように記憶しているのだが、その記事が書かれていた本が見つからない。見つからないことには、その記憶が正確なものかどうかも、確かめようがないではないか。
ついでながら、日本にキリスト教を伝えた伝道師“フランシスコ・ザビエル”もバスク人であり、日本に布教しようとしたのも、日本人にさほど抵抗なく彼が受け入れられたのも、容貌が日本人に似ていたからだろう、などということも書かれたいたように思うのだが、それすら確かめようがないではないか。
ところが、昨日のこと。何気なく手にとった短編集の中に、その記事を見つけたのである。それも小説である。私は、ずっと評論や随筆、対談集などばかり探していたのだ。まさかそのような内容のことが小説に書かれていたとは思いもしなかった。
その小説がおさめられていた本のタイトルは、「真説宮本武蔵」。この文庫本におさめられた件の小説は「奇妙な剣客」であった。そうか、この本に書かれていたことが“感慨深い、そして興味深いことがら”として記憶のどこかに潜んでいたのか、と(意外な場所に見つけた喜びと併せて)改めて司馬遼太郎という人の仕事ぶりに驚ろかされてしまった。
この文庫本の解説に改めて目を通してみると、解説をしているのは長部日出雄。中にこのようなことが書かれていた。『司馬氏の作品は、エッセイのように考証を語る部分と、ドラマチックな小説的展開を示す部分が、交互に読者の前にあらわれることが多いが、エッセイの部分を読みながらぼくがいつも感じるのは、厖大な資料を渉猟する作者の生き生きした精神の働きであり、・・・・』
そうなのだ。そこが司馬遼太郎の本を愛読し続けた私自身の理由でもあるのだが、そこに思いが至らず、随筆や評論、対談集などを探せば件の気になっていた内容の記事を探し出せると一心に思い定めて、そうした本にばかりあたっていた自分を反省するばかりである。
なぜ唐突にその小説に書かれていた記事のことを思い出したかと言えば、日本人は「日本語は外国人にとって習得困難な言語であるに違いない」と思っているが、本当にそうなのだろうか、とふと思ったからである。ひょっとすると、それは日本人の思い上がりにも似た誤解なのではないか、と疑問に感じたのだ。
なぜなら、日本で活躍するスポーツ選手や街で街頭インタビューに応じる外国人、大学で学ぶ外国人学生などの多くが、「日本人よりも立派な日本語」できちんと話し、しかもしっかりと自分の考えを主張できている場面をよく見かけるからである。
そんなことを考えていた折、ふと「そう言えば日本語と同じように印欧語圏の人々にとって難しいバスク語について、司馬遼太郎が何かの本に書いていたなあ」と思い出したのだ。探し出せたからといって、日本語が本当に外国人にとって「難解な言語」であるのかどうかの答えが見つかるわけではないのだが、気になり出すと見つかるまで落ち着かない性格なので、致し方ない。
とにかくは、見つかってよかったという話である。
何かの拍子に、『バスク人は日本人に容貌や言語が酷似していて、バスク語はヨーロッパ語圏にありながら言語の成り立ちが印欧語と格段に異なり、習得が難しい言語とされている』ということを司馬遼太郎の本で読んだことがあるのを唐突に思いだしたのだ。さて、何というタイトルの本に書かれていたことかという記憶が定かではない。必要があってのことでではないのだが、気になり出すと捨てては置けなくなってしまい、書斎はもとより我が家の書棚のあちこち、書庫として使っている近所の借家の本棚を探し回ったが見つからない。
記憶では、神が悪さを繰り返す悪魔をとらえ、そんなに悪さをするのであれば罰としてバスク語を習わせるぞと脅すとたちまちに改心した。それほど印欧語圏に住む人にとってはバスク語は難解な言語だ、といった内容だったと覚えている。そして、そのバスク語と酷似している日本語も同様に難解な言語として認知されているのだ、という文脈で語られていたように記憶しているのだが、その記事が書かれていた本が見つからない。見つからないことには、その記憶が正確なものかどうかも、確かめようがないではないか。
ついでながら、日本にキリスト教を伝えた伝道師“フランシスコ・ザビエル”もバスク人であり、日本に布教しようとしたのも、日本人にさほど抵抗なく彼が受け入れられたのも、容貌が日本人に似ていたからだろう、などということも書かれたいたように思うのだが、それすら確かめようがないではないか。
ところが、昨日のこと。何気なく手にとった短編集の中に、その記事を見つけたのである。それも小説である。私は、ずっと評論や随筆、対談集などばかり探していたのだ。まさかそのような内容のことが小説に書かれていたとは思いもしなかった。
その小説がおさめられていた本のタイトルは、「真説宮本武蔵」。この文庫本におさめられた件の小説は「奇妙な剣客」であった。そうか、この本に書かれていたことが“感慨深い、そして興味深いことがら”として記憶のどこかに潜んでいたのか、と(意外な場所に見つけた喜びと併せて)改めて司馬遼太郎という人の仕事ぶりに驚ろかされてしまった。
この文庫本の解説に改めて目を通してみると、解説をしているのは長部日出雄。中にこのようなことが書かれていた。『司馬氏の作品は、エッセイのように考証を語る部分と、ドラマチックな小説的展開を示す部分が、交互に読者の前にあらわれることが多いが、エッセイの部分を読みながらぼくがいつも感じるのは、厖大な資料を渉猟する作者の生き生きした精神の働きであり、・・・・』
そうなのだ。そこが司馬遼太郎の本を愛読し続けた私自身の理由でもあるのだが、そこに思いが至らず、随筆や評論、対談集などを探せば件の気になっていた内容の記事を探し出せると一心に思い定めて、そうした本にばかりあたっていた自分を反省するばかりである。
なぜ唐突にその小説に書かれていた記事のことを思い出したかと言えば、日本人は「日本語は外国人にとって習得困難な言語であるに違いない」と思っているが、本当にそうなのだろうか、とふと思ったからである。ひょっとすると、それは日本人の思い上がりにも似た誤解なのではないか、と疑問に感じたのだ。
なぜなら、日本で活躍するスポーツ選手や街で街頭インタビューに応じる外国人、大学で学ぶ外国人学生などの多くが、「日本人よりも立派な日本語」できちんと話し、しかもしっかりと自分の考えを主張できている場面をよく見かけるからである。
そんなことを考えていた折、ふと「そう言えば日本語と同じように印欧語圏の人々にとって難しいバスク語について、司馬遼太郎が何かの本に書いていたなあ」と思い出したのだ。探し出せたからといって、日本語が本当に外国人にとって「難解な言語」であるのかどうかの答えが見つかるわけではないのだが、気になり出すと見つかるまで落ち着かない性格なので、致し方ない。
とにかくは、見つかってよかったという話である。
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