SSブログ

改めて「学ぶ力」を

 昨年実施されたOECDの調査(PISA)で、フィンランドが順位を下げたことが明らかになった。フィンランドが一位になった際は、日本はその原因と対策を探ろう、あるいは成功例として模範にしようとしたものであった。
 朝日新聞記事によると、フィンランド国家教育委員会委員長は、今回順位を下げた原因として、①子どもの任耐力、集中力、意欲の低下、②読書量の減少、③教師にICT排除の姿勢などを挙げているという。その上で今後の対策として、「先生が教える」から「生徒が学ぶ」文化に変え、カリキュラムも変えICTを促進、子どもに競争力を付けるなどに力を入れると言っているようだ。
それは、日本がこれまで取り組んできた内容である。今度は逆にフィンランドが、かつて日本がめざした教育のありようを模範にしようとしているかのようだ。
だが、日本はこのところ逆に「先生が教える」文化に逆行しようとしていることに懸念を覚える。その文化は、いわば「お稽古型の学習」をめざそうとするものであるが、それは江戸期以来の前時代のそれでしかない。
 
 残念なことに現政権は、教育に限らずさまざまな側面で古い時代へのノスタルジックな憧憬にとらわれ、そこに向かおうとしてるかのようである。大は憲法の改正への前のめりな姿勢や教育基本法の大幅な改訂から、小は教育委員会制度の見直し、指導要領の改訂や道徳の教科化等々、法律や制度を改める観点が前時代の体制を志向するものであることを強く窺わせるからである。 
 そこで見え隠れするのは、法や制度を改めれば、いま日本が抱えている諸問題が解決すると思っているかのような安易で表層的な、時には誤った「モノゴトに対する認識の仕方」である。そのような浅薄で短絡的とも思える理解のもとで矢継ぎ早に出される制度の見直しが、本当に国民のためのものとなるのかどうか疑念や懸念を抱く人は少なくないはずだ。
 教育に関することだけに限っても、「学ぶ」ことと「教えてもらって習う」ことを同一視したり混同視したりするかのような施策が目につき、フィンランドが見直しを図ろうとしている「教える」から「学ぶ文化」への転換とは、対極の方向をめざそうとしていることが明らかに見え、さながら江戸幕末の藩校を具現化するかのごとくである。

 幕末の教育として著しい成果を挙げたのは、会津松平家である。磯田道史の『歴史の読み解き方』によると、会津藩は下は農民から上は藩主まで厳格な道徳規準を規定し、とりわけ藩士には行動規範を細かく決め、その定めた道徳価値で子どもを徹底して吟味したという。一定以上の身分の藩士には、義務教育として藩校日新館への通学を強制し、儒書の解釈ができる徹底した秀才教育を施し、子どもの時分から文武と道徳で吟味・選別し「官僚として吸い取る」制度としたのだという。
 また、藩校の外でも『ならぬものはならぬ』の一条で有名な「什の掟」を子どもの組織に位置づけ、日常の遊びや共同生活の中でそれを唱えることで、理屈でなく学ばせていたということは、司馬遼太郎の『王城の護衛者』やその他の作品を通してよく知られた事実である。
 そのような徹底した文武と道徳の教育を通して、他藩から一目置かれる雄藩になったということは、「大きな成果を挙げた」という証左であろう。

 しかし、と磯田は指摘する。大きな成果を挙げたものの、負の側面も出てきたというのである。いわく、『ならぬものはならぬ』というのは、なぜだめなのかと理由を主体的に考える文化文化が育ちにくく、それは思考を停止させるということでもある。人間とはこうだ、武士とはこうだ、忠義とはこうだ、と形を決め注入する教育は人間の思考を形式化させてしまうからだ、というのだ。この指摘は重要だ。
 しかも会津藩ではその教えを積極的に受容し、達成できた者から登用し出世させるシステムとしていたのだ。しなやかな発想や思考に欠け、かたくなな忠義に殉じる武士が出現したというのも無理からぬところであろう。
一面で大きな成果を挙げ「主君のために忠義の死をいとわぬ」非の打ち所のない士道を備えた家臣を育てながら、そうした負の側面から逃れられなかったところに会津の限界があり、戊辰戦争の悲劇を生んだ要因となっていることは明らかだ。

 自ら「考える」ことを排除し、一定の知識を教え・伝え・鍛える教育の典型が会津藩や佐賀藩の藩校に象徴される教育だが、そこでは主家だけが絶対で、主家にひたすら忠義を尽くすことを至上価値としていたのだが、それは佐賀藩の『葉隠』に顕著に示されていることは余りにも有名だ。
 そのような忠君教育は、明治期からの教育の理念であり続けた。藩に国がとって変わっただけの話である。
 日本が明治維新を経て近代国家に生まれ変わり、富国強兵を実現するために何よりも急いだことは学制を布くことであった。そこで柱とされたのは、大久保利通の著した「政府ノ体裁ニ関スル建言書」(1869)にある『マズ無識文盲ノ民ヲ導クヲモッテ急務トスレバ、・・・教化ノ道ヲ開キ学校ノ制ヲ設クベシ』で明らかなように、国民を教化するという論理であった。大久保が国民を「無識文盲の民」と見、「教化」することが国家の政治上の大目的であるとした考えは、その後の伊藤博文やその内閣で初代文部大臣となった森有礼へと受け継がれ、、それがその後もそのまま歴代政府に踏襲されて、やがて日本の教育政策の体質とまでなったと言われている。
 それは、教育が〝国家のための〟〝国家による〟仕事と考えられてきたことを如実に表している。
 それに対して、当時の日本が目標とした西欧圏の諸国では、教育を人間としての個々人のためのものと考えられてきた。決して国家のためではなく、あくまでも人間の生活のために教育があると基本的に考えられてきたのである。

 国家や組織が人材育成をする上で持つべきは「何のための教育か」、「誰の幸福のための教育か」、「その教育の価値観は広がりを持つか」などについての高々とした基本理念であろう。しかし、残念なことに現在の我が国の状況は、そうした望ましさとは乖離していくようにしか見えない。国が決めた「価値」を教え伝えて、鋳型にはめこむようにして思考停止を促し、考えたり創ったりすることを「放棄する人間」を育成することの過ちは歴史が教えてくれている。
 ここで立ち止まって、学ぶ力、考える力、見極める力、見通す力、くじけずに問い続ける力など幅広い学力についてしっかりとした議論をする必要がある。そうした力や構えを身につけることがなければ、「変化」と「多様性」に富む社会を生き抜くことが難しくなることは火を見るより明らかだと思われるからである。
改めて「学ぶ力=学力」を尊重することこそ、文教政策の柱とすべきだということを痛感する次第である。
 現政権がめざそうとしているさまざまな動きは、歴史の過ちを再現するかのような予見を抱かせるが、教育がその一翼を担わせらることを防ぐ上でも、それは大切なことだと強く思うのである。
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:学校

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。