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小中学校の「通信簿」? [学校教育]

 今朝の新聞報道によると、文部科学省は小中学校の学校運営や授業の指導状況などについて「評定1」から「評定5」までの5段階で評価していく方針を決めたという。
 各学校の実力を見極め、教育の質の向上につなげることが目的だという。
 学校評価については、各学校が説明責任を果たすべくこれまでも取り組んできたことである。そのために学校評議員制度が取り入れられ、さらに教職員による自己評価のほか、保護者らによる外部評価を得て改善の方向に歩み出したばかりである。
 それに対して今回は、文科省が設定した「学校における教育」「学校の管理運営」「保護者、地域住民との連携」の3分野、計18項目の評価項目について指標と評価規準をもとに5段階で評価し、将来的には公表も検討するというものだ。
 その評価規準とは次のようなものであるという。

 「多くの児童生徒が集中して学習に取り組んでいる」「教室内は清掃、整理整頓され、  掲示物も適切」ならば「評定3」。
「全国的に見てもすばらしい取り組みで、他の学校の参考になる」なら「評定5」。
 「取り組みが全く行われておらず、成果がほとんどない」なら「評定1」。
 
 そして具体的な評価は、 「学校と直接かかわりのない第三者」が行うのだという。
 学校の自己評価はあてにならないということだろうか。
 学校と直接かかわりのない第三者が行う、ということは地域や学校の実情について不案内な者が表面的な状況、目に見えやすい状況のみで判断し、5段階の枠の中にはめこむようにして評価してしまうおそれがある。
 この報道からは見えてこないが、その「第三者」が教育について深い理解を持たない者であるとすると、評価そのものが「理解」に基づかない冷たいもの、地道な教育作用を無視したものになってしまうおそれがある。本来教育とは地道な作用である。教職員が児童生徒と向き合い、学校や親の手を離れたときに自立した学び手として生きていけることをめざし「いま何をなすべきか」を考え、根比べのような地味な活動にコツコツと取り組み、そうした積み重ねが10年後、20年後に結実するという息の長い作業であり、短期間では結果が出ないことの方が多いものだ。
むしろ短期間で結果が見えてしまうようなことは、付け焼き刃のようにいずれ剥落してしまうおそれのある表面的なものでしかないということも言える。

 よい評価を得るためには、そうした付け焼き刃のような目に見える力や態度だけを伸ばすことも不可能ではないし、もっと言えば学校教育は外部からのよい評価を得るための活動ではないのである。何よりも「子どもにとってのよき成長」を願い、そのために評判や評価とはかかわりのないところで地べたをはいずり回るような、地味で、ときには児童生徒と真剣にわたりあう仕事なのである。
コンクールですばらしい成績をおさめた学校の音楽の授業が、派手ではないが子どもが主体的に音楽の活動に取り組めるような学習をめざしてコツコツと熱心に授業づくりに取り組んでいる学校の音楽の授業よりも優っているという保障がないのと同様、子どものよき成長を願う取り組みと外部の評価とは別物であることが多い。
評価の観点が異なるからである。

文科省はこの決定に際して「5段階評価は自分の学校がどの水準にあるかを把握しやすくするためのもの」としているようだが、これはまさに競争心を煽り、教育とはかかわりのないところで教職員に努力を強いることになるおそれも十分にある。
 たとえば、児童生徒の出席率を上げるために無理に登校させる、遅刻状況を改善するとして遅刻扱いの規定をゆるめる、学力テストの平均点を上げるための勉強を強いる、などといった本来の教育とはかけ離れた教育がなされることが懸念される。
 積極的に他と競い合うことがなくても、逆に他校と同じことをやっていれば差が生じるおそれがないとして、行政単位の他校と横並びで「よい評価を得るためだけの対処法」に腐心し、お互いに先陣争いを戒め合い監視し合う動きが生じることだって予想される。

 外部の評価やそれを前提とした競争がよい結果を生まないことは、イギリスの失敗からもよくわかっているはずであるにもかかわらず、なおそのことに執着するというのはどういうことであろうか。
 評価を施し、評定を下すと宣告すれば否が応でもやらざるを得ないだろう、さらに公表されるとなれば競争せざるを得ないであろう。そうすれば、それぞれの学校は成績を上げるために一段と努力をするであろう、という何とも貧弱で子どもじみた安易な発想にしか見えないのは私だけではないだろう。
 文科省が腐心しなければならないのは、より高い次元で、親や教職員が子どもと真剣に向き合うための環境づくりをどうするか、どうすれば子どもが本当の成長に向かいたくなるような社会環境をつくれるか、といった視点から施策を打ち出し展開することではないか。 
こうした小手先の施策に振り回される学校現場はたまったものではないが、学校現場もそうしたことを言わせないような確かで着実な研究に基づく実践、教育専門職としての誇りが持てるような取り組みをめざすべきだ。


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