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教育バウチャー?

 自民党の総裁選挙で安倍元幹事長が総裁に選出された。選挙前から「できレース」と揶揄されるほど圧倒的な支持を得ての出馬だったので、そのこと自体はさほど驚くことでもない。しかし、この選挙期間中、総裁候補として名乗りを挙げた3氏がさまざまな場面で主張した内容については驚くべきことや危惧を感じさせられることが多々あった。
 私は政治に関してはまったく無知であり、あのドロドロした世界と関わりを持とうなどという気は毛頭ないし、誰が総裁になろうが一向に構わないとも思っている。
 しかし、大いに懸念されるのは彼らがそろって「教育問題」を取り上げ、教育基本法の改正をはじめとする教育改革を主張している点である。

 そもそも教育の専門職ではないという意味で、教育について深い考えや理解を持っているとは思えない一介の国会議員が、教育についてさも知り尽くしているかのごとく口を差し挟むことについて違和感を覚えるのは私一人であろうか。
 彼らの教育に対する考えは、せいぜいが「自分の受けてきた学校教育における経験」にしか基づかないものであり、自分自身が骨身をけずるようにして実践する教育活動の経験に基づいたものでないことは言うまでもない。
 特に驚かされたことは、先日の候補者による討論会では、安倍候補が「教育バウチャー」に関する話題の中で『保護者など外部の評価を導入し、選ばれない学校が出てくると、そこはしっかりと乗り込んでいって根本的に問題を是正していく』と思い上がりとしか思えないような発言をしたことである。(傍点筆者)

 日本では幸いなことに誰もが平等に教育を受ける権利を有し、そのおかげで誰もが義務教育を受けた経験を持っている。
今 日のように「教育問題」がさまざまに論じられ大きく取り上げられる背景には、誰もがそうした「教育を受けた経験」があり、その経験をもとに教育についての自分の考えや意見あるいは感想を持っていることがあるということも否定できない。そして大いに論議を展開し、より望ましい教育をめざすことはよいことに違いない。
 しかし、それだからと言ってそれらが的を射ており、問題の解決に役立つものばかりであるかどうかは大いに疑問である。なぜなら、その意見や考えの基準となっているのが、あくまでも「自分の受けた教育」という狭い範囲のものでしかないからである。
決してそうした意見を軽視するわけではないが、それで「教育」を論じ、教育について起きている多様な問題の解決が望めるのであれば、そして望ましい教育活動が一朝一夕に行えるのであれば、教育専門職である教師が日常研究や研修に励まずとも、相応の学校で学んだという経験だけで何の問題もなく教育活動を展開できてしまうはずである。
しかし「教育」とはそう簡単なものではない。

 望ましい教育を求め、学校の再生を願い、日夜努力し、問題の解決に向けて苦慮し励む一方で、教育研究にも努めているのは、教育が「生き物」であり、単なる指導技術で片づけることのできない専門性が不可欠だからである。
 教育観、子ども観、人間観、指導観などについての深い理解と教育に対する高い志、さらにはそれらに裏付けられた指導技術、教育者として自己の教育活動を振り返り見極めることのできる透徹した目などの資質や能力を高めるために、児童・生徒と真摯に向き合っているのが現場の教師である(はずである)。
 学校教育とは無縁の第三者による学校評価を行うとか「教育バウチャー制度」を導入して学校間を競わせ、うまくいかない学校には「乗り込んでいって問題を是正する」などという発言からは、本当に教育について深い理解と考えを持ち『どうすれば真に子どもにとって意味のある教育になるか』という視点で教育問題にあたろうとする姿勢は窺えない。
そのような一夜漬けのように解決できるような問題であれば、学校現場はその対処に苦慮するようなことはなかったはずである。そして、そのように一朝一夕に解決できるのだとすれば、それはいつ剥落しても不思議はないほどの「とってつけたような表面的な解決」でしかない。
問題の根っこの部分、核の部分、本質的な部分を突き止め、それを改善していくには、小手先の安易な手段ではかなわないのは火を見るより明らかである。

 モノを生産する活動であれば、均質かつコストパフォーマンスの良い製品を効率的に生産することをめざして方法の改善を図るといったことは可能であろう。そうした場では、他と競争しより高い生産性を生み出すことも可能であろう。それは生み出すものが「モノ」だからである。しかし、「人間の育ち」を期する教育ではそうはいかない。同じ方法で指導を受けても、それが効果的である子どももいるしそうでない子どももいるからである。
 子どもはベルトコンベアの上では育たないにもかかわらず、学校を工場と勘違いしているからこそ、必要以上に「競争」を言い立て、成果を求め、均質さを望む発言が後を絶たないのではないか。
そして、こうした発言から窺えるのは、学校で起きている諸問題は、教師の力量不足や努力不足に起因すると考えているのはないかということである。

 確かに、一部にはそうした資質や能力に欠ける教師がいることも否定できないが、多くの教師は熱意をもって教育活動に取り組んでいるのである。
 それではなぜ成果が目に見えて現れないか、現れないばかりか問題点ばかりが浮き彫りになったり喧伝されてしまうのかと言えば、その多くはこれまでの実践経験や研究の成果では対処しきれないほどに社会が、そして家庭が、さらには子どもが変わってしまっている点にあるのではないかと思われるのだ。
 学習意欲の低下の問題にしても校内暴力の低年齢化の問題にしても、これまで社会や家庭が無意図的に行ってきた教育作用が低減し、「人間として育つ」バックボーンが崩壊しつつあることにその原因があるとしか思えないのである。
 そこに目を向けず、学校の努力不足や教師力の低下だけを問題の原因として仕立て上げたところで、真の教育改革にはならないことは言うまでもないし、制度をいじりまわしても何の意味もないことは論を待たない。

 まずは為政者の「競争させればなんとかなる」という考えを改めること、教育そのものについてより真摯に受け止めようとする心情を持つことこそが望まれる。
 安倍政権が誕生したからと言って、かれが提言していることが文教政策として実現可能であるかどうかは定かではないが、そうした安易な考えをもって教育を考え変えようとしていることから目を離すことはできない。


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笹木 陽一

大変ご無沙汰しておりました。先生のブログは日々チェックしていたのですが、なかなか時間が取れず、コメントを書くことができませんでした。この場を借りてお詫び申し上げます。こちらは相変わらず多忙な日々を送っておりますが、そうこうしている間に、安倍政権の誕生という恐れていた事態となってしまいました。教育基本法改正も待ったなしで、まさに正念場という感覚を持っています。先日、立て続けに2つの研究授業を終え、それに向けて小論を書いたのですが、その最後の部分に安倍首相の教育改革を批判する部分を置きました。少し長くなるのですが引用させていただきます。

先月首相に就任した安倍氏は、著書の中で失敗に終わったイギリスのサッチャー改革を無批判に受け入れ、「国に対しての誇り」を持たせるべく、義務教育に大胆な構造改革が必要だとしている。安倍は「教育の目的は志ある国民を育て、品格ある国家をつくることだ。そして教育の再興は国家の任である」とした上で、以下のような改革案を披露する。
①国が目標を設定し、法律などの基盤を整備→地方と学校の権限と責任を拡大→成果を検証する仕組みをつくる。
②現行学校教育法の目標を見直し、義務教育の役割を明確化。義務教育年限の弾力化
③学力の向上。ゆとり教育の弊害で落ちてしまった学力を、授業時数の増加で取り戻す。
 教科書を改め、学習指導要領を見直し、国・数・理の基礎学力を徹底させる。
④全国的な学力調査を実施。結果を公表し、改善が見られない学校は、教員の入れ替え等 を強制的に行えるようにする。学力テストには私学も参加し、保護者に学校選択の指標 を提供
⑤教員の質の確保。教員免許更新制の導入。能力別給与システム(2008年を目処に実施予定)多様な人材の参入。競争による教師の質の向上。
⑥学校評価制度の導入。学力だけでなく管理運営、生徒指導の状況等を国の監査官が評価。
 問題校には教職員の入れ替えや民間への移管を国が命じる。監査官は第三者機関で訓練。 監査状況は国会で報告。
⑥学校運営における校長の権限拡大と保護者・地域住民・地元企業の参加。
⑦幼児教育の改革。幼稚園と保育所を一体化した「子ども園」の設立。
 3~5歳の子を対象に幼児教育を担うことで義務教育の充実につなげる。
⑧モラルの回復のためのボランティアの義務化。大学入学の条件として、高校卒業後の3ヶ月間ボランティアを義務づける。大学入学時期は原則9月に改める。
⑨理想的な家族モデルの提示(レーガン時代の「大草原の小さな家」モデル)
ジェンダー・フリー・バッシング(山谷えり子の首相補佐官就任)
「家族、この素晴らしきもの」という価値観(映画「3丁目の夕日」へのノスタルジー)
⑩格差の再生産に対する歯止めとしての「教育バウチャー制度」私立学校の学費を公費で 補うアメリカのスクール・バウチャーに倣って、経済格差にかかわらず学校選択できる様にする。
 いちいち反論する気にもなれないおぞましい改革案が並んでいるが、一点のみ指摘するならば、これらの提案は全て「まず国家ありき」というトップダウンの視点で貫かれている事が大変危険であると思われる。(中略)
こういった現実を追認する形で、「国家のための人作り」を目指した「教育基本法改正案」が国会で議論されている。前文では憲法との関係を示す言葉を削除し、「平和」を「正義」に変え、「個人の尊厳」を「公共の精神」などの徳目と同列に扱い、何を指すのかあいまいな「伝統を継承し」との文言を入れている。(中略)「第6条 学校教育」の2項においては、第2条の目標の達成を学校に義務づけている。本研究のテーマに照らせば、ここに「学校生活を営む上で必要な規律を重んずるとともに、自ら進んで学習に取り組む意欲を高める事を重視」という文言がある事に注目すべきであろう。これについては、国が「自ら学ぶ」事の重要さを認めたと捉えることも可能だが、その目的は第2条と同じく、子どもに規律や意欲を強制し、規律を乱したり意欲のない生徒を排除することに繋がる危険性がある。安倍教育改革の⑧にあるボランティアの義務化もそうであるが、本来、憲法第19条で保証されている「良心の自由」に関わるはずの私的領域にまで、国家が法律で縛りをかけるというのは許されることなのだろうか。この事は私達の日常の教育実践において、「関心・意欲・態度」や「思考・判断」という生徒の内面に関わる領域まで、指導・評価の対象とせざるを得ない現状とも重なってくる。教育基本法が変わる事で、従来の目標に準拠した評価がもっていた機能、すなわち「児童生徒の良さや可能性を評価し、豊かな自己実現に役立つ様にする」という事が、「法で定めた状況を実現しているかどうかを測定し、選別、排除する」為の道具へと変質してしまわないかと危惧するのだ。

長々と引用し申し訳ありません。他の部分には仁田先生の著書からも引用させていただき「自ら学び進んで活動する」生徒の育成という本校の研究主題にそってまとめました。ご迷惑かとは存じますが、後日指導案と合わせて送らせていただき、先生からも御批評いただければと思っております。
何ヶ月も失礼していたにもかかわらず、ぶしつけに長々とコメントしてしまい申し訳ありません。北海道は既に冬の足音が聞こえてきそうな寒さです。先生もくれぐれもご自愛下さいますよう。ではまた。
by 笹木 陽一 (2006-10-21 22:09) 

おじおじ

笹木先生、お久しぶりです。コメントをいただき、ありがとうございました。
教育の諸問題の所在が学校現場にあるかのような思いこみのもとに、本来の教育活動とは無縁の種々の強制がなされそうな今回の阿部政権下の動きは、まさにトップダウンで自分たちにとって「都合の良い国民の育成」をめざした戦時の教育行政を思わせます。
「美しい国」という耳あたりのよい言葉で語られていることの中味は、本当に「子どものよりよき成長」を願ったものではなく、産業界・財界による世界に伍して打ち勝つことの出来る戦力としての国民の養成を、という要請に後押しされた「空々しい」ものでしかない、ということは悲しいことです。
何よりも、 教育再生会議のメンバーに教育現場の実情に通じている人が少ないのも気掛かりです。委員それぞれが持論をぶつけ合う展開になれば結局は「事務局主導で」にもなりかねません。
ここから窺えるのは、「まず結論ありき」といった行き着く先が見え見えの論議とは呼べない論議の様子です。
教育現場のニーズを事実を踏まえて検証し、問題の所在がどこにあるのか、再生会議としての診断を世に問うところから始めなければ(本当に教育の再生を願うのであれば)ならないはずですが、先述のように「結論ありき」のこの会議には、それは期待できそうにもありません。
学力問題にしても、立命館大の蔭山氏がここに参加しているということから察するに、底の浅い、そして狭い捉えに立った学力について論じられ、そこに向かおうとしているのだろうということは容易に想像ができます。
政治が力ずくで教育内容に手を突っ込むようなことは願い下げですね。
全国学力テストや国による学校評価の導入で学校や個人を競わせても、そこで救われるのは、それこそ少数の上位層だけであることは火を見るより明らかですが、そうしたことに気づかない(あるいは見えないふりをする)こと自体が、教育を語る資格がない、ということでもありますし、教育について真剣に考えていないということの証でもありましょう。
そうした人に教育の行く末が握られるということは是が非でも避けなければならないだろうと思っています。
憤りすら感じられるここ数ヶ月の動きです。
by おじおじ (2006-10-24 21:24) 

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