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これが知事?

 この人の幼稚な論理をベースにした政治姿勢は、単に「幼稚」と笑って済ますことができないほどの危険さを含んでいる。
「この人」とは、大阪府の橋下知事である。
 先日の「大阪の教育を考える討論会」では、あろうことか『トップの方針に学校の先生が従わない。どこの会社に、社長の方針に従わない部下がいますか。そんな部下がいたらクビになる』と言い放ったというではないか。
 「トップ、社長」とは、首長である自分自身のことであろう。そして、「部下」とは学校の先生のことを指していると思われる。

 教育は公正中立の立場に立って行われるものであり、「教育権の独立」は社会的な常識として認識されているはずだ。政治が教育に強い影響力を及ぼすことの恐ろしさを戦前・戦中の悲惨な経験を通して知った日本は、政治から独立した「国民の教育権」を憲法上保障してきたはずである。
 弁護士として活動してきた橋下氏が、そのことを知らぬはずがないのだが、彼はあたかも独裁者であるかのように、『自分の示す方針に従え』と(文字通り)叫ぶ。
 何か勘違いしているとしか思えない。知事とは、独裁的な権力をふるうことのできる「王や殿様」ではない。もし、時の首相や知事、市長などの行政の長に「自分の方針」を強制すること、すなわち絶対的な権力を発動することが認められてしまえば、それは近代的な民主国家の姿ではない。府民や県民、国民は、そのような権限を行政の長に与えるために首長として選出しているわけではあるまい。(もっとも首相は国民が直接選出しているわけではないが)
 府知事になった自分をまるで絶対的な権力を持った「独裁者」であるかのように誤認識してしまっていること、それは彼の非常識さをあらわしていることに他ならないし、それ自体がとてものこと「常識をわきまえたおとな」でないことの証ではないか。

 彼の幼稚さは、他の場面でも発揮されている。
 地元高校生と私学助成金削減プランをめぐって、意見交換会を行った時のことである。
 私立高校に通っている男子生徒の『僕の家は母子家庭で、決して裕福ではなくて、僕はそんな母をこれ以上苦しめたくないので、私学助成援助を減らさないで』という訴えに、『なぜ公立高校を選択しなかったのか』と質問したという。
 そして、私立高校を選択したのは自分自身であって、それは自己責任なのだから、たとえ学費が高くても仕方がないことだと言う意味のことを主張して、その訴えを退けたと報じられている。
 私立高校に進学したのは、積極的に選択したわけではあるまい。
 公立高校を希望していても、受験当時の成績によって、学校や教師の指導により、私立高校に振り分けられることもあるということも十分に考えられるではないか。
 希望したからと言って、誰も彼もが希望通りの進学を果たせるわけではない。また、それを「努力不足」ということで片付けることも危険ではないか。努力したからと言って、或いは偏差値が希望の高校を受験するに十分な成績をふだんから上げていたからと言って必ず合格できるわけではないからである。
 その証拠に「だから、『そこ(私立)にしか行けない』って(教師に)言われたんですよ」と泣き出す高校生の姿も見られた、というではないか。
 もし、橋下氏がそうした状況を想像できないのだとすれば、あまりにも世間知らずだし、想像力の欠如した幼児のようだとしか言いようがない。
 またそうした「意見交換」の場を、相手の話を受容することなく、自己の考えのみを主張し、そのことで相手をねじ伏せる場ととらえているのであれば、なおさらその「大人げのなさ」が浮き彫りになる。
 神戸女学院大の内田樹教授が彼を評して『情緒的な発達が11歳か12歳くらいで終わっている、幼い人。複雑な問題に対して非常にシンプルな解決法があると思い込んでいる』と言ったということも肯けるではないか。
 
 情緒的にも知的にも十分ではない独裁者が強い権限を発揮することの危うさは誰しもが感じるところであろうが、恐怖政治をしくことで問題の解決が図れると考えているとすれば思い違いも甚だしい。
 たとえ彼のめざす大阪府の姿が望ましいものであっても、府民の理解を得てその姿に近づくことは難しいと思われるが、肝腎の「彼のめざす大阪の姿」それ自体が信じ難いほどに稚拙で滑稽、低次元なものだけに、大阪府民の信頼を得られるだけの指揮者にはなり得ないであろう。
 何よりも経済の復興のためであれば文化をないがしろにしてもよい、とする考えにどれほどの人間がついていけるだろうか。
 また、「大阪を学力でトップにする」としているようだが、教育の目的をそのようなレベルでしかとらえられない人間に教育を語る資格などない。想像するに、よい成績を上げることだけを目標に学生時代の彼が勉強したということの証なのだろう。
 教育委員会が反発をするのも道理である。しかもその反発の内容を理解できず「くそ教育委員会」と罵るという呆れた姿勢からは、教育に対する無理解と無知しか見えてこない。 彼のしてきた「よい成績を上げることこそ勉強の目的」とする学習姿勢は、当然のことながら、社会を見る目も底が浅く、文化や教育に対する見解や認識も、人間としての度量も浅く狭い未発達なレベルで閉じている、という今の姿に帰結するのは無理からぬところであろう。

 教育の問題を言う前に、本当は彼こそが中学・高校・大学時代に「学んで」「学問の奥深さとその意味」を実感できるほどに、学問をすべきだったのだ。
 弁護士になるほど優秀な成績をおさめることができたのに残念なことだと言わざるを得ないが、彼は「学んだ」のではなく、単に「お勉強」をしただけなのだ。
 それがもたらす人間理解の薄っぺらさと社会認識の程度の低さは、「リーダーとしての品位や品格の欠如」にどうしても結びつく。
 騒々しく喚いてみたり、口汚く罵ってみたり、過激な発言をして反発をかってみたり、どこからどう見ても危うさしか見えてこないが、感情的で幼稚かつ無知な見識から生じる政治姿勢を改めなければ、大阪府民は苦渋をなめるしかない。
彼はもっと「大人として成長」しなければならないし、それができないのであれば大阪府民の幸せのために一日も早く白旗を掲げて撤退すべきであろう。知事を独裁者と思い違いをし、無知と誤解に基づく考えを一方的に押しつけられるために、彼を知事として選出したわけではないはずだからである。そのような強い権力の行使まで、府民は彼に付託をしたわけではあるまい。
 
 ついでながら、単にマスコミをにぎわし、名を知られたおもしろそうな人物だからと言って政治家として、あるいはリーダーとして有能であるとは限らないのに、選挙でついつい投票してしまうという単純さについても大阪は反省しなければならないであろう。
 元の府知事の横山ノックもタレントとしての知名度から選出された知事であるが、その彼を選んだ結果どうなったかということを考えてみれば、選出の姿勢についてもっと反省が生かされてもよかったはずだ。
 いずれにしても橋下氏を知事として選んでしまったのである。大阪府民はこれからどうするのであろうか。彼が何をしでかすか、よりも大阪府民が彼をどう処遇するかの方に、私は関心がある。
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