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こどもの日と「せいくらべ」

 あちらこちらで鯉のぼりが新緑のまぶしい風を受けて泳ぐようすが見受けられるようになった。もうすぐこどもの日なのだ。こどもの日と言えば、『♪いらかの波と雲の波~』そして『♪屋根より高い鯉のぼり~』という鯉のぼりの歌や『♪柱のきずはおととしの5月5日のせいくらべ~』という「せいくらべ」の歌がすぐに思い起こされる。
 その「せいくらべ」の一番の歌詞の最後のフレーズは『きのうくらべりゃ何のこと やっと羽織のひもの丈』というものだ。
 昨日のこと、何気なくこの歌を口ずさんでいて「羽織のひもの丈」という言葉にひっかかってしまった。この歌が子どもたちによって「こどもの日」に歌われてきたということは、子どもたちが羽織を普段に着ていた時代、羽織のひもの丈がどれほどのものか誰にでも容易に推測できて『ああ、その程度しか身長が伸びなかったのか』とわかる時代につくられたということになる。

ちょっと待てよ、と思ったのはそのことである。確か「こどもの日」が制定されたのは戦後のことだったはずだ。そうだとすると、「せいくらべ」の風習は「こどもの日」のものではなく、端午の節句に行われた風習だということになる。また、そもそも「こどもの日」とか「端午の節句」と「せいくらべ」は何のかかわりもないということも考えられる。この詩をつくった詩人の家だけで行われていた「端午の節句にちなんで、子どもの成長を確かめるならわし」だったとも考えられるからである。
 私は、この「せいくらべ」の歌を歌ったことで、何気なく「子どもの日」には「せいくらべ」をするものだ、と思い込んでいたのだが、それはどうなのだろう。
 
 さっそくネットで調べてみた。
 すぐにこの詩の作者は、海野厚という人だということがわかった。
 彼は、1896年(明治29年)8月12日、静岡市で7人兄弟の長男として生まれ、旧制中学を卒業後、上京し早稲田大学文学部へ入学。童謡雑誌「赤い鳥」へ童謡詩が掲載されるようになり、童謡詩人として活動したという。厚は毎年5月頃には故郷に帰り、弟妹の背を測ってやったといわれる。しかし病(肺結核)を得て、ある年は帰省することができなかったそうだ。
 歌詞の中に『柱のきずはおととしの~』とあって、「去年の~」でないのはそうした事情によるものらしい。
 この詩に中山晋平が曲をつけてレコード化されたのが1923年5月だから、作詞したと推定される1922年か23年、詩人はちょうど東京で「静岡に住む弟は、この2年でどれだけ大きくなったろう?」と想像する状況にあったわけだ。

 この詩のモデルは17歳年下の末弟の春樹だったという。春樹(元大阪芸術大教授)によれば『末弟の私は小学生3、4年生で、ちょうど羽織の紐が気になる年ごろだった。そして、その年齢の子供が2年で伸びる身長が、まさに羽織の紐の長さと一致するんです』ということのようだ。
 19歳で上京した厚にとって、17歳下の春樹は特別な弟だったという。共に暮らす期間が短く、弟の成長を帰省のたびの楽しみにしており、それだけに2年も帰れなかったことが「弟も寂しがっているだろう」という気持ちをつのらせ、『背くらべ』創作へとつながったのだと伝えられている。
 ということは、実際に身長を測って「羽織のひもの丈」の分、背が高くなったと言っているのではなく、東京から静岡にいる末弟を思いやり「おととしよりは羽織のひも丈」ほどは伸びただろうか、と想像して書かれたものだということになる。

 ついでながら、もともと厚の書いた詩は一番のみだったそうだ。一番の作詞から4年経って、中山晋平が厚を元気づけるために二番の詩を作らせたものらしい。
 この曲をレコードに吹き込む際、中山晋平の要望で二番が付け加えられたという記録があり、しかも『背くらべ』掲載の「子供達の歌第3集」が出版された時、厚自身が「場合によっては1節の歌だけで十分と思ひます」と注釈をつけているということからも、本来一番のみで完結したものだったのであろう。

 以上のことから、身長を測る「せいくらべ」は、「端午の節句やその後制定されたこどもの日」の風習ではなく、作詞者の海野厚がたまたま毎年5月頃に帰省し、妹や弟の身長を測っていたことによるものだ、ということもわかった。
 こうした歌詞が作られた背景を知ってみると、初夏のさわやかな空気の中で兄弟同士で「せいくらべ」をしている、という楽しくも和やかな雰囲気に満ちたこの曲が、少し陰翳をもったものに見えてくる。
 この曲がレコード化された2年後の1925年5月、この詩を書いた海野厚は28歳の短い生涯を終えたということである。
 5月に亡くなったということに符号めいたものも感じられるが、今年ももうじき子どもの日がやってくる。
 私と同じように、せいくらべを「こどもの日の風習」と思い込んでいる人たちによって、我が子や孫の身長を測ることが行われるかも知れない。でも、それはそれで良いではないか。そうしたことが契機となって習慣化されるということが風習の一側面にあるかも知れないからである。
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