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働くことしか能がない?

 この春、千葉県の佐原市を訪ねた。古い町並みが保存・整備され、平日にもかかわらず、多くの観光客が訪れていた。特に小野川沿いの家並は、若葉が風になびく柳並木に彩られ、小江戸の名にふさわしいしっとりとした落ち着いたたたずまいであった。
 そんな中に、伊能忠敬の旧宅が保存されている。川をはさんだ反対側には、伊能忠敬記念館がある。豊富な展示物と内容で、初めて知ることも多く、時の経つのを忘れるほどその偉業に感銘を受けたものである。

 有名な話ではあるが、婿養子に入った伊能家の家業を49歳で長男に譲り、50歳で江戸に出て数学・天文・暦学者の高橋至時に師事し、測量・天文観測などを修め、そのことをきっかけとして日本全土の測量を思い立ったことは、当時の平均年齢を考えると、驚くに値する。晩学と言えば晩学過ぎるほどの晩学であるし、実測の旅に出たのが55歳からのことであること、さらに第十次測量と「大日本沿海興地全図」の作成にかかったのが71歳であることを考えると、文字通り長い長い探求の旅を生涯のゴール近くに来てからしたことになる。

 同様に、生涯のゴールに近づいてもなお盛んに作品を生み出し、自分の表現を追い求めた人々は多い。
 たとえば、葛飾北斎は1849年、90歳で亡くなる3ヶ月ほど前まで絵を描くことを辞めなかったというし、96歳まで矍鑠として公演活動などを行った作家、住井すゑの代表作『橋のない川』第6部を刊行したのは71歳の年であった。そればかりか、80歳で絵本まで執筆しているのだ。
 また、随筆集「洟(はな)をたらした神」を執筆した吉野せいは、それまで福島県の山の中で開墾と子育てに生き、古希を過ぎてからこの随筆の執筆に取り組んだのだそうだ。
 それまでモノを書いたことのない人間が、最晩年になってそれまで持ち慣れた鍬をペンに持ち替え、借り物ではない、自分の言葉で文章を紡ぎ出す作業に取り組み、書物として世に送り出したというのも、書き残したい思いが強く、書かずにはおれない突き動かされるような思いがあったのだろう。
それが活字になって出版されたのは、74歳の時であり、大宅壮一ノンフィクション賞や田村俊子賞を受けたのは75歳のときであり、その2年後には亡くなっているのだ。
文字通り、最晩年になって「自分が生きた証」を遺して世を去ったことになる。

 ここに挙げた人々は、世に言う「後期高齢者」でありながら、自分の生命の灯火を最後まで旺盛に燈し続けて生きた人々である。決して「余生」を生きたのではない。
 高齢に達してから、こうした見事な「後世に誇るべき遺産」を残した人たちだけに限らない。人間は誰しも、自分自身の「問い」に向き合い、それを解決したいと願い、行動を起こすことで「自分自身の生」を生きるのである。極論すれば、それが世の中の役に立つか立たないか、利益につながるかどうか、名誉なことかどうかなどとは無関係に、問い・探り・考え・築き・創造することに夢中になり、それを楽しみ、人生の最後の瞬間まで生きるのだ。
 たとえこれまで自分を育ててくれた世間への恩返しに、と奉仕活動に精を出すお年寄りがいたとしても、それは「活用される」ことを欲してのことではない。自分の生を生きたいから奉仕活動に取り組んでいるだけのことなのだ。結果として笑顔で喜んでくれる人がいれば、なおさら自分の喜びが増し、嬉しさを感じることがあっても、それを目的としてはいないはずだ。
 
 どこかの国の首相が、『高齢者は働くことしか能がない』とか『元気な高齢者をいかに使うか。使えば納税者になる』と、まるで封建時代の領主が領民に対するような時代錯誤ともとれるような発言をし、失言だとしてマスコミに取り上げられ、『真意が伝わっていない』と釈明をするということが先日あったばかりである。真意がどこにあって、あのような発言になったのかわからないが、先に挙げた人々の旺盛で実り豊かな生き方を見れば高齢者が「働くしか能がない」などと言えるわけがない。
また、例に挙げたどの人々も自分の生を生きるために描き続け、執筆に精を出し、黙々と測量作業に取り組んだのであって、誰かに「活用され」てそうしたライフワークとも言うべき作業に取り組んだのではないだろう。

 「活用」とは文字通り、「活かして用いる」ことを意味する他動詞で、新明解国語辞典によれば「そのものが本来持っている機能を働きを活かして使うこと」の意とある。また広辞苑では「活かして用いること。効果のあるように利用すること」としている。
 「活用」とは、もともと自分の目的を達成するために、モノ(道具や手段)が持つ機能(はたらき)の効果を期して利用することなのだ。それがいつのころからか人間に対しても使われるようになったようだが、そのことに強い違和感を覚えるのは、私だけではあるまい。『あなたを活用したい』と言われて無邪気に喜ぶ人がいるとは思えないからだ。私ならそのようなモノを扱うような失礼な言い方はしたくない。言うとすれば『あなたのお力をお借りしたい』とか『ご協力をいただきけるとありがたい』、『お力添えをお願いしたい』などと言うだろう。

 先の発言の真意については「高齢者を労働力として積極的に活用する必要性を強調したもの」であるという釈明がなされたが、活用という言葉の持つ意味を正しく理解できていれば、これとて民主社会の為政者の発言として首肯できるものではなく、釈明になっているとは思えない。「使う」にしても「活用する」にしても、「使役する」という意味合いが強く、国民を(まるで国や領主のために)使役すべき存在としてしか見ていないらしいことが窺えるからである。
 人間がどう生きるかという生の尊厳に対する無理解ばかりが目立ち、共感の希薄さが浮き彫りになるばかりだが、その人の口から『私が目指す安心社会とは、子供たちに夢を、若者に希望を、高齢者には安心を、であります』という言葉が発せられても、何をかいわんやという思いばかりが先にたつし、他人事のようなその口ぶりに苛立ちすら覚える。
それはさておき、高齢者であっても日々自らの生を生きているのであって、いかに健康で元気であるからといって「働くことしか能がない」「活用すべきモノのような存在」では決してないのだ。

 「老人力」という言葉を生み出し、同名の著書でお馴染みの赤瀬川原平は、『老人力自慢』という本の中で次のように述べている。
  『高齢者、つまり老人というのは、金を稼ぐ道具であったことから離れながら、
  ひたすら自分の人生に入り込んでいく人のことである。
   若いころだってもちろん人生にはまり込んでいるのであるが、現役時代は
   とにかく働くこと、稼ぐことがあっての人生である。
 歳をとって現役を離れるということは、あとは丸ごと自分の人生でしかない
  んだから、それをどう自分で楽しむか。その「自分で」ということに重点が
 移動してくる。』
とした上で、
  『結論からいうと、これからの老人には、趣味としての勉強を始める人が増え
  るのじゃないか。またそうあってほしいと思う。
  勉強というのは、若いころにするものだが、いまは進学や就職という目的の
  重圧が物凄くて、ほとんどが○○のための勉強ということになっている。
  だけど本来勉強ってそういうものだろうか。自分が本当に好きで、何かを知
  りたくてするのが自分の勉強じゃないか。』
と「老人力」の真髄について触れているが、これは老人に限ったことではない。

 勉強という言葉を使ってしまうと、多少ニュアンスが違うのだが、世に言う勉強を学習と言い換えてみれば、ここで語られていることは子どもにも、若者にも、大人にも共通して言えることで、自分の捨ててはおけない関心事に向き合い、生涯をかけて自分自身になろうとして生きていくのだ。その中で、人は自分を取り巻く環境(ヒト・モノ・コト)のあれこれについて学んでいくのだ。すなわち「生きることは学ぶこと」に他ならないのである。

 私が好きでよく観るテレビ番組に、NHKの『熱中時間~忙中趣味あり~』がある。
ここで紹介されるのは、それぞれが自分にとって放ってはおけない関心事に熱中し、没頭し、体系をつくりあげている人々の様子である。「学ぶ」とか「勉強」と言うと、学校や塾、講座などで教えてもらうことがまず思い浮かぶが、ここで紹介されているように、趣味として自分で新たな学問の領域を創り出し、自分が新しい知を切り拓き、自分の世界を広げていくことこそ、本来の「学びの姿」なのだ。
 もちろん、一方でその知を正統な知の体系と関係付け、よりいっそう確かなものにするため、大学や大学院で研究するという「学び」のあり方も重要な姿としてある。

 私の知人にも、そうした人がいる。あるいはいた。一人は、つい先ごろ亡くなった近所のおばあさんである。あまり親しくお付き合いをしたわけではなかったので、お亡くなりになるまで知らなかったのだが、若いころから短歌に親しんでおられたようで、告別式の会場入り口には、その作品をおさめた歌集が飾られていた。立派な装丁の本である。たくさん詠まれた和歌の中から、お気に入りの歌を拾い上げて一冊の本として出版されたものなのだろう。そのように自分の趣味のあれこれに楽しくも真剣に取り組み、かけがえのない作品としてまとめようとしている人はたくさんいらっしゃるのではないだろうか。
 また、私の友人が住職を務めるお寺で催される坐禅会で、世話人をかってでられたH氏のような人物もいる。彼は、つくば市の産業技術総合研究所で研究員を務め、数年前に退職した70歳に手が届こうとしている人物である。退職をして一線を退き、坐禅会に参加するようになってから、ますます宗教への興味を高め、ついには都内の大学院に入学し、仏教の研究に専念。この春、その研究の成果を修士論文としてまとめ、口頭試問も見事にパスして大学院を修了したのだ。今後は、博士課程も視野に入れて研究生活を送りたいという。

 ここまで書いてきて、似たような話を『生きることは学ぶこと~69歳からの出発』という本の中で読んだ記憶があることを思い出した。熊本県水俣市の沢井建設代表取締役会長の澤井正氏が書かれた本である。
彼は、社長業のかたわら経営学を学びたいと強く思うようになり、慶応大学経済学部の通信教育を受講し始めたという。56歳の時のことである。しかも驚くことに、卒業することが目的ではないので、一通りの勉強をし、4年間受講したが卒業はしなかったという。その間、60歳の時にはマサチューセッツ工科大学への短期留学、翌年にはソルボンヌ大学での研修といった具合に、生き甲斐を創出しつつ学びを展開している様子が詳しく語られている。
 しかもこの本が書かれた当時は69歳だが、K学園大学の大学院で経営学を学んでいて、そこを修了したら広島大学教育学部への入学をめざすのだ、と書かれている。この本が書かれたのが1998年であるから、11年も経っている。想像するに、80歳になった澤井氏は、教育学部も見事に卒業され、念願の澤井塾を立ち上げて、若い人たちと「日本人の誇り」について学びあいたいという望みを実現されていることであろう。あるいはまた、この本には書かれていない新たな「学びたいこと」を見いだし、それに向かって邁進されているのかも知れない。

 水戸には、徳川斉昭が創設した藩校「弘道館」がある。今で言う総合大学のようなあらゆる分野にわたる文武についての教育を、藩士やその子弟に施すためにつくられた学校である。その弘道館記には、「藝に游ぶ」という有名な文言が記されている。遊ぶように学問や芸術・武術などの取り組むことこそ、人間としての真の楽しみであり、味わいである、とでも言う意味であろう。
 それは、学問の核心をついた鋭い指摘だと考えられるが、そうした探求の妙味を味わえるように教育界が教育観を転換していくことが望まれるが、それ以前に老人は自分の学びをそちらにシフトしていく可能性を持った存在であることは疑いようがない。
 先に引用した赤瀬川原平は、同じ本の中で次のように述べている。
  『現役の時代は、まあできるだけ全部覚えて、充分情報つかんで、役に立つこと
   をせっせとやってるんだけど、現役から離れちゃうと、そんなに覚えてもどう
   ってことないわけです。
   限られた人生で、何を一番やりたいかということを考えるようになる。
  自分にとって一番充足するのは、役立つというよりも、自分が楽しいと感じら
  れることでしょう。
  老人力がつくというのは、そっちが中心になっていくということなんです。』
  
 このように人間は、それぞれがそれぞれの仕方で、「問い」「探り」「創造し」、生涯の尽きるその瞬間まで、自分の生を生きていくのだ。その意味では、もしかすると「学ぶことの妙味と楽しさ」を実感できているのは、高齢者かも知れないのだ。
 そうした人々を指して『働くしか能がない』『遊びを覚えても意味がない』と断じてしまうような、人間に対する洞察力の乏しい人間をトップにいただくこの国は、どこへ向かっていくのかと案じられてならないのである。

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