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虫の声に思う

 8月も末となり、気がつけば家の周りのあちこちではもう秋の虫の声が盛んに聞こえるようになった。
 そういえばもう処暑を過ぎたのだ。虫の声を聞いて思い出した。どうやら虫の声を聞いて秋の風情を楽しむのは、日本だけのことのようで、アジア各地も含めて諸外国の人々の耳には、虫の声は聞こえないか聞こえてもノイズとしてしか聞こえないらしい。
 そんな説に出会ったのは、もう25年ほど前のことであった。たまたま書店で目にした『日本人の脳~能の働きと東西の文化』(角田忠信)という書物に、日本人と西欧人とでは虫の声や動物の声を聞いたときの脳内における無意識下の情報処理の仕方に違いがあることがわかった、と書かれていたのだ。それは、虫の声に限らず三味線や琴、琵琶や尺八などの邦楽器を聞いたときでも同様だという。

 この研究は、東京医科歯科大学の難治疾患研究所の角田教授が開発した「電鍵打叩法による優位性テスト」による左右の脳の「音に関する優位性」を探る実験・観察によるものである。
 ごく簡単に言うと、ハーモニックな音は右脳が、インハーモニックな音は左脳が処理しており、そこから右脳を「音楽脳」、左脳を「言語脳」と呼んでいる。しかも、言葉を話したり聞いたりしているとき、同時に音楽を聴いた場合、言語の情報の方が優先され、言語脳(左脳)でとらえて処理されることから、左脳を優先脳という。
 音楽を聴いているときに、話し声が聞こえたり他の雑音が聞こえたりすると邪魔だと感じるのは、言語能である左脳に優先的にスイッチが切り替わってしまうために起きてしまうことのようだ。話し声や雑音も共にインハーモニックな音であることから、右脳では処理されず左脳が反応してしまうということらしいが、コンサートでクシャミや咳をすると迷惑がられるというのもそうした事情によるのだろう。

 この脳の働きを日本人と西欧人で比較してみると、西欧人は虫や動物の声を音楽脳で処理する(言葉のように意味のあるものとしては受け取らない)のに対して、日本人は言語脳で処理するのだ、というのである。
 また、西欧人は母音を音楽脳(右脳)で処理するのに対して、日本人は言語脳(左脳)で処理するのだという。 英文では、一般的に母音の役割はあまり重要でなく、母音を全部抹消してしまっても、子音だけで意味が十分に理解できるといわれている。しかし、日本語は母音で言葉を形成する部分が大きい言語であって、個々の母音(あ・い・う・え・お)がそれぞれ意味を持っていることから、日本人が母音を言語脳で処理する理由であるとされている。
「あ」は単なる音としてではなく、「亜」や「唖」「嗚呼」といった意味のある「言葉」であり、「い」も同様に「胃」「意」「井」などの意味を、「う」も「え」も「お」それぞれに意味のある言葉であることから、母音分析が言語脳で行われるのだという。

 そうした逆転現象は、虫の声や動物の声、小川のせせらぎや波の音などの自然の音、尺八や琵琶などの邦楽器音を聴いたときの脳の反応にも見られる。西欧人がこれらの音に接したときに反応するのは右脳(音楽脳)であるのに対し、日本人は左脳(言語脳)で反応するのだという。それは、これらの音のホルマントパターンが母音に類似しており、母音を処理する反応と同じ動きが脳内で起きるためと考えられている。
 また、邦楽器の音を分析した調査によれば、これらの楽器は複雑な非倍音成分を含んでおり、かつムラ息やソラ音などのような雑音的な響きや音の濁りを積極的に生じさせるような演奏技法で奏されることから、ハーモニックな響きが重視される西洋楽器とは対照的な音素材であり、日本人が邦楽器音を左脳で処理する所以であると考えられている。

 以上見てきたように諸外国の人々と日本人の音に対する反応の違いは、どうやら母音をどう処理しているか、ということと深く関わっているように思われるが、角田教授の発見で興味深いのは、自然音を言語脳で受けとめるという日本型の特徴が、日本人や日系人という「血筋」の問題ではなく、日本語を母語として最初に覚えたかどうか、という点で決まるということについてである。
 その端的な例として、南米での日系人10人を調査したデータがある。これらの日系人は1名を除いて、ポルトガル語やスペイン語を母語として育った人々で、その脳はすべて西洋型であった。唯一日本型を示した例外は、お父さんが徹底的な日本語教育を施して、10歳になるまでポルトガル語をまったく知らずに過ごした女性であった。その後、ブラジルの小学校に入り、大学まで出たのだが、この女性だけはいまだに自然音を言語脳でとらえるという完全な日本型だった。
 逆に朝鮮人・韓国人はもともと西洋型なのだが、日本で日本語を母語として育った在日の人々は、完全な日本型になっている。
 こう考えると、西洋型か日本型かは人種の違いではなく、育った母語の違いである可能性が高い。「日本人の脳」というより、「日本語の脳」と言うべきだろう。角田教授の今までの調査では、日本語と同じパターンは世界でもポリネシア語でしか見つかっていないという。

 興味深い話が『日本人の音意識』という対談で語られている。この対談は角田教授と日本芸術文化振興会の八板賢二郎氏が1988年に行ったものであるが、その中で出自が同じ楽器でも日本のものと中国のそれとではまったく質が異なるというのである。以下引用。
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角田 僕は中国の人で調べてみたことがあるんですが、彼らは邦楽器が右へいくんですよ。
    それで、現在の中 国の楽器を使って実験をしてみましたら、日本人にも中国人にも
    やはり右脳なんですね。
八板 雅楽もそうですか。
角田 いや、日本にある雅楽の音は日本人にとっては完全に左なんですよ。
八板 そうですか。
角田 笙、篳篥も全部完全に左です。しかし、中国の楽団が使っている楽器は音が全然違う
    んですよ。中国で 小澤征爾が琵琶協奏曲を指揮したことがあるんですが、僕はそれ
    を聴いてびっくりしたんです。当然、琵琶が出てくるんですけど、形は琵琶なんですが、
    音が完全にマンドリンなんですよ。日本の琵琶の音ではないんですね。
    音楽の評論家の人たちがそういうことを書いてくれないかと思っているんですけどねえ。
八板 洋楽関係の学者の人たちもそうですけど、どうも日本の楽器というと、全部が外国から
    きたものであるというところで終わってしまうんですね。その後、どのように変化したか
    というところまでいかないんです。
角田 そうそう、元々は中国を経て輸入したものだけれど、日本人の美意識が変えたんですよ。
八板 構造も演奏も変わっていますよね。
角田 その点、日本人はたいしたものですよ。言葉とあうように変えたんです。母音とあうようにね。
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 楽器までも日本人の美意識に合うように作りかえ、その奏法も工夫してインハーモニックな音づくりによって「言葉以上にものをいう音楽」を味わい楽しんできたことが窺える。
 こうして、虫や動物の声、伝統的な邦楽器の音を日本人は言語脳で、西欧人は音楽脳で聴いていているが、バイオリンなどの西洋楽器の音は日本人でも音楽脳で処理をしている。
 日本人に一定時間計算問題を解くなどの作業をした後で、西洋の器楽曲を聴かせると緊張状態が緩和され、疲労が早く回復することがわかっている。ストレス解消にクラッシック音楽を聴く、というのは音楽による音楽脳(右脳)への刺激が有効であることの証である。

  きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに衣片敷きひとりかも寝む
(後京極摂政前太政大臣)
  世の中よ道こそなけれ思ひ入る山の奧にも鹿ぞ鳴くなる
(皇太后宮大夫俊成)
  淡路島かよふ千鳥の鳴く声に幾夜ねざめぬ須磨の関守
(源兼昌)
と百人一首に詠まれたように、日本人は古来より虫や動物の声に自らの思いを重ねて自然と解け合い、一体となって暮らしてきたことが窺える。
 自然を自分の外部にあるものとしてイメージにとどめるのみでなく、言語化するという諸
外国にはない日本文化の奥深さが感じられるが、それはまた長年にわたって日本人が母音文化を育ててきたことに他ならない。
 それはとりもなおさず、左脳を多く働かせる文化であるということでもあり、左右の脳の機能を安定させ、ひいては精神の安定を図る上でも、私たち日本人にとって西洋音楽を聴くことは大いに意味のあることかも知れない。
 
 そして、こうした他の国々の人々にはない「音や音楽への接し方」ができるということは、他にはない独自の文化を創造しそれに参加できる余地があるということでもある。
 「虫の声や自然の音に耳を傾け、愛でる文化」を持つ日本人は、それだけ自然に対して敬虔な態度で接することができるという美質をその血に持っているということでもあろう。
 それは、これからの「宇宙船地球号」について考えをめぐらすとき、あらゆる意味において大切になってくると思われるのである。

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