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教員免許更新制度の見直しについて

 本日付の産経新聞に次のような記事を見つけた。

  民主党の輿石参院議員会長兼代表代行は12日、甲府市内で記者会見し、
 今年4月に導入された教員免許更新制度の廃止に向け、来年の通常国会にも
 教育職員免許法改正案を提出する考えを示した。
  教員免許更新制度は安倍晋三内閣が教育再生の目玉として導入を決めたが、
 民主党の有力支援団体である日本教職員組合(日教組)が強く廃止を求めてき
 た。政権交代により教育改革路線は一気に後退する公算が大きい。
  輿石氏は元山梨県教組委員長で、日教組の政治団体「日本民主教育政治連盟」
 会長を務める。小沢一郎代表代行と太いパイプを持ち、「参院民主党のドン」
 といわれる。
  輿石氏は「教員免許更新制は変えなければならない。できるだけ早くやる方向
 になる」と明言、来年の通常国会での改正案提出についても「当然あり得る」と
 述べた。平成23年度から免許更新制を廃止することにも「間に合えばそうする」
 と前向きな考えを示した。
  指導力不足の教員排除を可能とする改正教育職員免許法は19年6月に成立。
  教員は10年ごとに計30時間以上の講習を受け、認定試験で不合格となれば、
 2年以内に再試験で合格しない限り、教員免許が失効する。
  民主党は衆院選マニフェストに「教員の資質向上のため、教員免許制度を抜本
 的に見直す」と明記。社民党も「免許更新制を廃止」を掲げてきた。

 いかにも産経新聞らしい記事である。その趣旨や内容、実施方法などについて多くの問題点が指摘されているこの「教員免許更新制度」を「教育再生の目玉」として位置づけ、それが廃止されれば「教育改革路線は後退」だと主張する姿勢は、右傾化の姿勢で政治に臨んだ安倍元首相と同様、日本の教育を危うくするものだ。
 免許更新制の目的は、「不適格教員を排除する」ことと「教員の資質向上」である。
 子どものために全力を尽くす教員が今、求められている。問題のある教員を何とかしてほしいという声も強い。 しかし更新制の導入は、教員の質を向上させる方法としても、不適格教員を排除する方法としてもふさわしくなく、むしろ逆効果をもたらす可能性が高い。

 そもそも不適格教員を「排除」する、という目的そのものに疑問を感じざるを得ないが、こうした制度が布かれることで不適格教員の拡大解釈がなされ、少々の摩擦も恐れず子どもの利益を最優先に考えて動こうとする教員や真剣に教育のありようを考え、実践しようとする教員までもが「排除」の対象になってしまう恐れもある。何をもって不適格とするかの基準があいまいだからである。
 
 不適格教員について言えば、すでに懲戒や他職種への転換といった制度が整備されており、一方では学校現場でもそうした教員への指導に手を尽くそうとしてきたはずだ。
 いま求められるのは、それらをどう生かすかであり、膨大な免許更新業務に税金をつぎ込んでまで、そして日本でわざわざ更新制を導入するメリットは考えにくい。
 また、「教員の資質向上」について言えば、すでに教員研修制度が整備され、公立校教員には特に研修が徹底されている。教員が自発的に学び合う自主研修会も発達し、多くの心ある教員は休日を返上して実践の向上に取り組んできた。
 こうした点が世界的に高く評価され、日本の授業研究に学ぶ研究拠点が近年、多く設立されてもいる。
 教員の資質向上は、研修の充実や、教員の意欲を喚起する環境づくりによってこそ図られるべきで、本当に必要なのは教員に研修のための時間を作ってやることであり、教員がどのような研修を望んでいるか、緻密に声を吸い上げていくことだったはずであるし、自発的に発生している各種の研修組織を支援することだったはずである。

 免許更新制の法改正を推進したのは、安倍内閣と、安倍政権が作った教育再生会議である。いわば教育については素人であるメンバーで構成された教育再生会議が、井戸端会議で世間話をするように「不適格教員がいることが問題」「排除するために免許をとりあげるべき」という論議を展開したことによる。日本の教育が抱える諸問題の原因は、日教組にあるというすこぶるステレオタイプで偏狭な考えに立つ当時の文科相であった中山成彬氏は、これに我が意を得たりとばかり反応し、この制度の策定を強く押し進めた経緯がある。言ってみれば、この制度の底にあるのは「日本の教育を望ましい方向へ導く」という高い理想や理念ではなく、国による「教育と教員の管理」を強化することにこそあったのではないかと思われるのである。

 この制度にゴーサインを出した中教審も「我が国全体の資格制度や公務員制度との比較において,教員にのみ更新時に適格性を判断したり,免許状取得後に新たな知識技能を修得させるための研修を要件として課すという更新制を導入することは,なお慎重にならざるを得ない」、と教員免許更新制に否定的だったはずである。
 しかし、政治の力が無理押しするようにして、これを制度化してしまったことは周知のことである。
 この免許更新講習は、「こういう内容で講習をすれば、教員の資質が確実に上がる」という展望があってのものではない。「教員の資質向上」という政治目標が優先され、形式的にでも講習を実施することそれ自体が目的として慌ただしく実施されたものである。
 かつ、その内容は大学に丸投げすることになった。現場の課題を肌で感じている人たちが講習を組織しているのではない。この制度の目的を是として考えたとしても、それに見合った講習になるかどうか危ぶむ声があちこちで聞かれたはずであるが、それを無視してこの4月から実施されてしまった経緯がある。
 
 そして、案の定その実施に関してさまざまに問題が起きてしまったのである。
 各地の大学でインターネットによる受講予約ステムに不具合が生じて混乱が起きたり、回線が混雑して予約するために終日コンピュータの操作に専念しなければならなくなったりするなど、受講できるかどうかの保障もなされていないこともその一つである。
 そしてさらに重要なのは、定員割れが続々と明らかにもなった。当初からの懸念通り、すでに現場のプロになっている人たちに、「受けることができて良かった」と思ってもらえ、教員としての資質の向上に貢献できる内容で講習を構成しようと大学が真剣に考え、対応できるだけの検討時間がないまま実施に踏み切ったからである。
 定員割れは専門性が高い講習で特に深刻で、「学問」重視の大学側と「現場対応」重視の教員側のニーズとのズレに、講習内容の見直しを求める声が出てきたのも当然である。
具体的には、「素粒子物理学の発展」(弘前大)や「社会科に関する学問の歴史」(群馬大)など、専門性が高かったり特定教科に特化したもので、申込者はゼロ~数人という有様で、これらは中止になっている。これに対し、カウンセリングや発達障害など、教員が教育現場で対応を迫られている講習は、定員の9割を占めるほどの好調ぶりだという。

 実施上でも幾多の問題を抱えた「教員免許更新制度」であるが、何よりも排除の論理を基調としたこの制度の設置自体に問題があるととらえるべきで、これを見直したからと言って「教育改革路線の後退」ということにはならないし、そもそも安倍元首相と中山文科相(当時)の打ち出した教育改革そのものが「改革」を標榜するにふさわしくないものであったという二重の意味で、一日も早く見直し廃止すべきものでしかないのだ。
 その意味で産経新聞の記事の論調は、教育の望ましいあり方を見据え、まっとうなものにしていこうとする姿勢が希薄なものであるとしか思えないのである。
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