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「電子制御」に思う

今日の新聞各社の報道によると、トヨタ自動車の大規模リコールにつながった急加速問題について米運輸省が8日、「電子制御システムの欠陥は発見できなかった」とする最終報告をまとめたという。
これで、1年以上に及んだ一連の大規模リコール問題は、収束に向け大きな節目を迎え、電子制御システムと急加速との関連を否定してきたトヨタの主張がほぼ全面的に認められたということになろう。
 
 これは、トヨタのみならず、日本の技術の高さに対する信頼性が保証されたという意味で、経済界、産業界にとって一安心というニュースであろう。しかし、損害賠償まで要求し、トヨタ車に欠陥ありと非難し続けてきたアメリカの姿勢は、今後どう変化していくのだろうか。興味深いところではある。
 
 それはともかく、このところ電子制御による技術を搭載し、それを「売り」にした自動車が次々に発表されている。車間距離が自動的に保たれる、センサーが障害物を感知すると自動的にブレーキがかかる、信号などで停車をするとエンジンが止まりエコドライブに貢献する、車の進行にぶれが発生すると危険を感知して自動的に安定走行に戻す、等々いずれも安全やエコを保証してくれる機能を実現してくれるものである。
 
 しかし、私はそうしたテクノロジーに頼ることに以前から疑問を感じている。電子制御の技術は、当然のことだがコンピュータに自動車のコントロールを任せるということだ。電子制御システムのソフトウェアがどれだけ優れていても、「100パーセント大丈夫か」という不安は払拭できないからだ。
 普段から仕事の多くをコンピュータでしている人間としては、それほどコンピュータを信頼していないからだ。
日常的に、突然のクラッシュが起きる、思わぬところで不具合が発生する、時には暴走して停まらなくなる、などの事態に見舞われることがよくあり、コンピュータとはそうしたものだ、とみなした上で、それでも「自分にとって有用な道具」として便利に使っているのがコンピュータという機器だから、生命を預けたり託したりするほどの信頼をしているわけではないのだ。
 
 事実、私の知人が以前、当時としては画期的な「ステアリングの状況を判断し、全輪が電子制御でコントロールされ、鋭いカーブでも安全に曲がることができる」とされていた自動車を運転し、どうしたはずみか制御不能に陥り、事故を起こして重傷を負ったことがあった。『やはりコンピュータに頼るのは怖い』と、当時思ったものである。
そのように、コンピュータとは無邪気に信頼できるほど、安定動作するものではない、というのが「電子制御礼賛」に対する懸念の一つである。
 
 もう一つは、安全運転にかかわる大事な部分、たとえば前の車との車間距離を保つ、障害物を察知して避ける等のことを、「人間のセンサー」を機能させることを待たず、自動車に任せてしまっては運転者のセンサーを「働かせずに済む状態」をつくり出すことに他ならなず、運転者の危険察知能力を衰えさせることにつながるのではないかと思われるからである。
 人間の能力や機能は、働かせなければ働かなくなってしまい、衰えるものだということは誰もが知っているし、経験していることのはずだ。運転者にとって必要なのは、自分が自動車という、ある意味で「危険な乗り物」を操縦しているという自覚を持ち、危険があるかも知れないという配慮をし、そのために危険を察知し避けようとする心配りを常にしながら運転する心構えなのではないか。それは、センサーを働かせる、ということに他ならない。そうしたことを『この車は安全だから』と、自らのセンサーを働かせることを放棄して自動車の「電子制御」に任せるようなことがあっては、ますます安全運転から遠ざかってしまうのではないかと懸念されるのだ。

 ところで、と話が横道にそれ飛躍してしまうが、もしもそのような電子制御が可能なら、もっと他の側面で活用してはどうなのだろうと、素人考えながら思っていることがある。
 それは、相変わらずなくならない飲酒運転や居眠り運転についてである。たとえば運転者の呼気を自動的に察知し、アルコールを検出したらエンジンがかからないようにするとか、蛇行運転なり運転者の目の動きの鈍さを察知したら運転者に何らかの刺激を与えて覚醒させるとかできるような技術やシステムが開発されれば、他に与える影響を抑えることができるのではないか。呼気からのアルコールの自動的な検知にしても、そんな簡単にできることではないということはよくわかる。アルコール臭と運転者の体臭をどこまで区別できるか、運転者と同乗者のアルコール臭をどうかぎ分けるか、など難しい問題もあろう。さらに、そんな自動車をどれほどの人が喜んで購入するか、とお酒好きの人は思うであろうからメーカーも積極的にはならないかも知れない。おそらく、高額な開発費をかけてまで、そんな機能を持った車を開発しようとも、製造しようとも思わないであろうし、行政もそれを積極的に推進しようとはしないかも知れない。あくまでも素人考えなのだ。

 それはともかく、人間の「及ばないところ」を電子制御のテクノロジーが補完し、手助けするということには大いに賛成だが、「本来人間がすべきこと、できること」を電子制御のシステムに任せてしまうということに一抹の不安を感じている、というのがこのまとまらない文章の要旨であり、トヨタのリコール問題解消から連想したことである。
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