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教育再生会議について

 一昨日の新聞報道で、安倍首相直属の教育再生会議の委員の一人として曽野綾子氏が内定されたことを知った。
 曾野綾子氏と言えば、夫君三浦朱門氏と同様に、これまで教育にとって問題視される発言をしばしばしてきた人物である。
 このような人物が委員に選ばれるということからも、この教育再生会議設置の趣旨と目的、あるいは導き出されるであろう決定の内容がよく透けて見える。

 彼女のこれまでの言動が安倍首相と同様、右寄りの姿勢を窺わせるに十分だからである。
 「二次方程式を解かなくても生きてこられた」「二次方程式などは社会へ出て何の役にも立たないので、このようなものは追放すべきだ」といった乱暴な発言を教育に関する諮問委員会で行ったこともある。
 また、 教育改革国民会議委員という立場で「満18歳で、国民を奉仕役に動員すること」を主張したりするなど、前時代的な発言を繰り返してきた人物である。
「国民を」という言葉遣いにも一段高いところから見下している様が窺える。まるで自分は一般市民とは異なる別格の高みにいる人物と思っているかのようであるし、「動員する」という言い方からも一般市民を「使役できる立場の人間」と見なしていることが窺える。

 まるで国民を「将棋の駒」かなにかのようにしかとらえていないかのようだ。
決して言い方だけの問題ではない。徴兵制を思わせるようなこの発言は、敗戦以来「平和で文化的な国家」をめざそうとしてきた国のありかたを根本から覆そうとするもので、戦前・戦中の日本の姿をノスタルジックに希求しようとするもので、その姿勢は安倍首相の姿勢そのものだと言って良い。
 また、二次方程式が実生活で役に立たないから教育課程から削除すべきだ、とする意見からは、この人の学校教育観、そして学習観についての理解の浅さが浮き彫りになる。
 学校で学ぶのは、実生活に直接役立つから、あるいは実利に結びつくからではあるまい。
 
 あることがらを学ぶのは、学ぶことを通して「ものの見方・考え方・取り組み方」を育てることにあるのだ。知識や技術を身につけ、覚え、定着すること、そしてそれを実生活の中で役立てるようにすることだけではなく、ものごとを多角的に見てとらえ、問うことを通して「考える力や知識を築く力」を身につけ、併せて対象と自らの関係をつくりあげようとする構えや姿勢を育てることにあるのだ。
 この発言からは、学習することの意味についての無理解ぶりが窺えるが、もう少しうがった見方をすれば、一般市民に「考える力」や「判断する力」などは必要がない、と言っているようでもある。あたかも戦中の国民学校のように、自分の意見などは持たずに将棋の駒のように従順に動くことのできる人間を育てることこそ望ましい、と考えているのかも知れない。
 
 私たちは、この人物のこれまでの発言から、この人の人となりや考えを推測するしかないが、どう考えても民主国家にふさわしい理念を持った人物であるようには思えない。
 このような人物を幅広い意見を集約するための有識者の一人としてということであっても、委員として選出するということは、この会議をどこへ方向付けようとしているかという意図が色濃く見えてしまい、教育界にとって望ましい結論など出そうもないだろうと思わざるを得ない。教育界がこれからどうなってしまうのか、とそればかりが懸念されるが、何よりもかわいそうなのは子どもたちだ。真の学びからどんどん学校が乖離していってしまうことが心配されるからだ。
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