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安倍政権を問う4

◇特権意識がもたらす怖ろしさ

 戦後レジームからの脱却を主たる命題として掲げたこの政権は、正体を明かしてしまえ
ば、戦後民主主義を全否定し、日清・日露戦争にかろうじて勝利したことで生まれた、誤
解とも思える「肥大化した大国意識」に浮かれた戦前の日本に立ち返ろうとするノスタル
ジックな後ろ向きな姿勢をコアに持った政権であることは疑いようがない。
 自然、その姿勢から次々と打ち出される政策のことごとくが“民主国家”と主権者であ
る“国民”のためのものというより、政権の欲する体制のためのものという色彩が濃厚で
あり、“下々の意向”などもってのほかという上意下達のありようこそ望ましいというベク
トルを強く持ったものにならざるを得ず、現にそうしたものになっている。
 そこでは、民主国家にとってふさわしい建設的な議論や討論など不要なものに他ならず、
権力者の意向を伝え、国民を従わせる方策を打ち立てることこそ重視される。
 権力者である自分が伝えているのだ、異見や異議をさしはさまず、受け容れよという姿
勢がこれまでの現政権のふるまいからは透けて見えすぎるほどに見える。

 私はこれまで、安倍首相が「懇切・丁寧に」「説明する」としながら、そうした説明をし
た姿を見たことがないことから、この人物は日本語としての“懇切”“丁寧”“説明”とい
う意味を正しく理解できていないのだろう。だから丁寧な言い回しや言葉遣いですれば良
いはずだとばかり、繰り返し同じ主張を繰り返すのだろう、そのために質問者の疑義に適
切に対応できなかったり、疑問を解くために「説き明かす」努力を怠っているように見え
てしまっているのだろうとも考えていた。
 しかし、それだけではうまく説明できないとも気がついた。
 彼の人は「説明」しているつもりなのだろう。繰り返し、執拗に、そして相手の揚げ足
をとったり、論点をずらして相手を攻撃したりしつつでも自分の主張を言い募れば、それ
が「説明」になるはずだと思っているのだろうとも思えるのだ。彼に言わせれば、『こんな
に幾度も繰り返して、しかも丁寧な言葉遣いで同じことを言っている、つまり説明している
にもかかわらず、なぜわかろうとしないのか』と訝しい思いでいるのかも知れない。
しかしそうであっても、その対応の仕方は私たちの常識的なとらえ方からすれば“説明”に
なってなどいないということは論を待たない。

 そこに見え隠れするのは、「権力者の自分」そして「国のリーダーである自分」が言って
いることなのだから、間違っているはずがない。自分が言えばそれが真実なのだ、と臆面
もなく、そして“脳天気”にも思っている様子である。
 誰もが最も驚いたのは、東京オリンピック招致活動に際して、『福島第二原発の汚染水は、
完全にコントロールされている』との発言だろう。現実を正確に把握することなく、そう
主張すればそれが真実なのだというリアリティーのなさを世界に向けて露呈してしまった
のだ。そうした現実把握を度外視した言動が、この政権の政策に対して国民が危惧を抱く要
因になっていることは疑いようがない。そのような“リアリティーが欠如した姿”は、無謀
な先の大戦に国民を引きずり込み、国を危うくした軍部の姿勢と通底する。

 また安倍首相は、これまでも何かことがあるたびに『責任は私にある』としながら、そ
れに伴う何らかの処分を自分に課したことはない。何があろうとも、責任はあっても、それ
に応じた責任をとるべき立場にはないし、そうした処分とは“埒外”の“一般国民とは異な
る特別な存在”とでも自らをとらえているとしか思えない。
 それは道義的な意味での“責任”に限らず、法的なそれについても同様にとらえているか
のようである。そうでなければ、国会を軽視し、三権分立の建前を無視し、強引な政権運営
に走るなどということができようはずがないからだ。
 三権分立と言えば、行政府の長であるにもかかわらず、再三にわたって自らを「立法府
の長」だと発言をしている。こうした誤解も、三権を自らが統括しているし、法を超越し
た存在として自らを誤認していること(それが大いなる勘違いであることは言うまでもな
いことだが)の証左であると思えてならない。これもまた統帥権を盾に国を牛耳った軍部の
姿を彷彿とさせる。

 それはともかく、そうした統治者然とした姿勢がコアにあることが、国民の目を不都合
なことからそらさせるために『国難だ』と大騒ぎしてみたり、公文書の改竄や隠蔽に平然
としていたり、政策提起のためのデータの信頼性を損なうような操作をしてみたりするこ
とにつながっているはずだ。
 また、この政権は矢継ぎ早に次から次へと大仰なスローガンを提示したり、○○革命、○
○改革といった浅薄で短絡的とも言える“目眩まし政策”を繰り出し、何の検証もないまま
に、成果があったと喧伝し続けている。国民に苦渋を強いていることなどそっちのけにして、
不都合な現実に向き合うことなく、成果がないことであっても『未だその過程にあること
だが、いずれ達成できる』のだから、成果が上がっていると言えるのだとばかり、自らの
政策の実効性を誇っている。
 このような不都合な真実に真っ正面から向き合うことを避ける姿勢も、『偉いボクちゃん
がやっていることなのだ。下々の者がとやかく言うことではない』のだという特権意識を
背景にした驕りから生まれる一側面だと私は見ている。

 近年、世界各所で高い理念や思索に裏付けられたとは到底思えないような、乱暴で圧力
的な物言いをするリーダーが出現しているが、アメリカのトランプ大統領などはその典型
で、他国のことながらアメリカという国はどこへ向かってしまうのかと、大いに懸念を、
そして危惧を抱いている人々はすくなくないはずだ。
 しかし、他国のことを心配している場合ではない。敵と味方に分断する政治手法、不都
合な現実、あるいは疑義や指摘などと向き合わおうとしない政治姿勢などの点で、トランプ
大統領と安倍首相は共通した政治姿勢の持ち主だと言っても良いと思えるからだ。
 両国とも「民主主義」を謳った国民主権の国でありながら、国民の権利などどこへやら
吹き飛んでしまいそうな、リーダーの思惑こそが尊重される国になろうとしてしまってい
るし、現にそれが問題の根、いわば“ウミのもと”になっているではないか。

 国民としては困惑するばかりであるが、先日の総裁選でも「石破氏を応援するなら(大
臣の)辞表を書いてからにしろ」とか「人事面で冷遇する」となどという恫喝まがいの圧力
をかけたことが功を奏したか、安倍首相が続投することになった。これがまっとうな政治の
世界で行われる選挙なのかと、疑問を呈したくなるふるまいではないか。
 自らを有利に導くために脅して票を得る、という卑怯な行いは裏社会に生きるヤクザな
人間のすること、あるいは子どもの喧嘩をのようなふるまいだ。
いやしくも「一国のリーダーたる人間のすること」ではない。
 百歩譲って首相自らがしたことではないにしても、それを許すような雰囲気が党内や内
閣府内にあったとすれば、首相自身がそれを問題視すべきだ。
 だが、彼は『そのような発言をした人物がいたのであれば誰が言ったのか。名前を明ら
かにせよ』と、圧力を受けたのが誰か氏名を公表すべきだ、とお門違いの発言をして、問
題をはぐらかせようとしたのだ。
 想像するに、同じような手口で官僚をはじめとする地方事務方に恫喝まがいの圧力をかけ
たことが、モリトモ問題や加計疑惑などの原因となっているに違いない。
 『信なくば立たず』だと言いながら、自ら不信を招いておき、その不信の原因を自らには
ないかのように論点をずらしたり、他に転嫁するかのようなふるまいに“頼もしい”“信頼
できる”と感じる国民は少ないはずだ。
 こうした「程度の低さ」は、もはや品格とか人格とかの問題ではない。
 人間としての「底の浅さ、見方や考え方の浅薄さ」といった質の悪さの問題だ。
 “育ち”は良いかも知れないが、信頼に足る人間として“育っていない”、あるいは自ら
を“育て損なった”浅ましい姿ばかりが浮き彫りになる。
 この浅ましいリーダーの存在そのものが、「国難」と言っても良いのではないだろうか。

=この稿続く=

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