SSブログ

改元に際して考えた

 天皇陛下の退位と新天皇の即位に伴い、新しい元号が昨日4月1日発表された。
 日常生活では、西暦を使用している私としては元号が必要不可欠なものとは思ってはい
ない。また極秘裏に行われる改元までの手続きなどに関しても、大仰に取り上げ『新しい
元号は何か』と推測して大騒ぎするメディア風景も冷ややかに見つめるだけの話題でしか
なかった。
 そもそも元号は、時の権力者が記念したり祈念したりするごとに、つまりは政権を担う
側の都合で定められ設けられてきたもので、民主社会にふさわしい重大事とはどうしても
思えないのだ。だが、それは私の個人的な思いでしかないということはお断りしておく。
 
 そのような個人的な思いはさておいて、新しい元号が「令和」と決定したと政府からの
発表がなされた。
 一見して不快な思いがし、同時に怒りがこみ上げてきて、怏々として楽しめない一日に
なってしまった。字面から『国の令に順(したが)い、国民相和(あいわ)して、国の隆
盛に尽力せよ』と言われているような気がしたからである。
 政府の発表によれば、「令和」の典拠は万葉集の梅の花の歌32首の序文にある「初春の
令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす」にあり、「人々が美しく心を寄せ合う中で文化が生まれ育つ」という意味を込めたという。
 広辞苑によると、「令月」とは、「万事をなすのによい月。めでたい月」のことだとい
う。また、漢字源によれば、「令」という漢字には「よい(ヨシ)。清らかで美しい」と
いう意味があるという。「命令」の「令」であるとしかとらえることのできなかった私
の不明で、この一字にそのような意味があるとは知らなかった。

 それはさておき・・・。
 「美しい国」などの美辞麗句を並べ立て、一方では立憲主義を無視するかのように虚偽
や隠蔽による政治の劣化を招き、主権在民を平然と無視して国民に憲法遵守を迫り、その
憲法を『みっともない憲法』だと言い募り改憲を主張する現政権だ。
 新元号の発表に際しての会見で、美しい言葉で新元号にこめた意図を聞いても、言葉通
りに受け止めることなど出来ようはずがない。むしろ、『人々が美しく心を寄せ合う中で
文化が生まれ育つ』とか『厳しい寒さの後に春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のよ
うに一人一人の日本人が明日への希望とともにそれぞれの花を大きく咲かせる』などの言
葉に、恐ろしい意図が隠されているといううそ寒い思いを禁じ得ない。
 この政権が積み重ねてきた「虚偽」に満ちた姿勢に目をつぶり、(「真摯」に「丁寧」
な説明をすると言いつつ、それがなされたことがないことだけでも、その姿勢は明らかだ)、
『改元だ』と大喜びしたりはしゃいだりしていては、いつの間にかじわじわと自分たちの
首が締め付けられ、気づいたときには手遅れという事態がやってくること必定だ。

 この政権の思惑が端的に見て取れるのは、これまで漢籍由来の言葉が引用されて策定さ
れてきた元号を、国書からの引用にこだわったという点だ。「愛国心や愛郷心」を持て、
と政権誕生時から主張するこの政権は、日本古来の伝統・歴史・文化に固執し、国民に
それを強要したいに違いない。そもそも「愛国心や愛郷心」は、この国に生まれて良かっ
た、この国で生きることができて良かったと実感するところから生じるもので、「持て」
と言われて持てるものではない。それに先立って、国民がこぞって「良い国だ」と思える
ような国づくりに政官が汗をかく覚悟をもって「公僕」としての任にあたることこそ必要
なはずだ。
 それでなくとも、国民の多くは自ずと生ずる「国や地域への愛情」をもって、国民にと
って迷惑千万な政官による不要不急とも思える行政のていたらくにもめげず、日々の営み
をけなげに築いているのだ。その国民に「愛国心を持て」と言うほど、彼らが民や国を愛
しているとは思えないところが主権者たる国民の悲しさだ。
 それはともかく、国民に愛国の発露を強いるためにも、異例にも「国書」を典拠とする
ことにこだわったのだろうことは容易に想像がつく。
 新元号発表の報道を見て、不快さと怒りを覚えた私の初発の感想は決して大袈裟なもの
でも、見当違いなものでもないとしか思えない。そして、同様の感想を持つのは私一人で
はないはずだとも思えるのだ。

nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:学校

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。