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笑っては失礼だが [日記]

 生まれも育ちも茨城県である私は、茨城県特産の納豆が大好きである。
 一日に必ず一パックは納豆を食するほどであり、我が家の冷蔵庫には4~5日分の納豆が常に入っている。残り少なくなると何を措いてもスーパーマーケットに出向いて購入し、欠かさないようにしていて、安売りの日などはそれだけで嬉しくなり、ついつい余分に買ってきてしまうほどである。

 ところが、先日行きつけのスーパーマーケットに納豆を手に入れるために(それだけのために)出かけたのだが、陳列棚にいつもの納豆がない。すっかりないのである。いやに高い値段の納豆しか置かれていない。
 どうしようかと躊躇し他の店に行ってみようかと逡巡したのだが、それも面倒なのでやむなくその高い納豆を購入してきた。帰宅してそれらを冷蔵庫におさめ、『やれやれ、これで2~3日は大丈夫』と安心はしたものの、急にいつもの製品が姿を消していたことの原因は思い当たるふしがない。不思議に思っていた。

 出かけていた家人が帰宅したのでそのことを話したところ、思い当たることがあると言う。前日にあるテレビ局の番組で、「一日二パックの納豆で容易にダイエットができる」という内容の放送をしていたと言うのだ。それだ、それに違いない。
 おそらく、その番組を見た人たちがワッと納豆を買いに走ったのであろう。それから何日間かは、そのスーパーマーケットの納豆の陳列棚は寂しい限りであった。早い時間には売り切れてしまうようなのだ。

 しかし納豆だけでそんなにお手軽にダイエットができるのだろうか。しかもその番組では、普段と同じように食事を摂ってよい、その上に納豆を食べるだけで痩せられると言っていたと言う。普段の食事に加えて余分な食物を摂れば、いっそう太りそうなものではないかと家人と話していた矢先、その番組はデータを捏造し、偽った内容の放送をしていたと今日のニュースで報道されていた。
 視聴率を稼ぎたい余り、偽りの情報を流すメディアもメディアだが、やみくもに放送の内容を信じ込み、しかも「手軽さ・容易さ」に誘惑されてその製品を買いに走った試聴者も、何とも浅ましいとしか言いようがない。どちらも軽佻浮薄に過ぎはしないか。

 この話題に限らず、このところの風潮を見ていると「日本人の浅ましくなってしまった姿」ばかりが目につく。
 昨日はNHKの「週間子どもニュース」(よくできた番組で、子どもにわかりやすく、しかも嘘にならない解説をしてくれるお薦めの番組なのだが)では、マグロの漁獲制限の話題を取り上げていた。
クロマグロやミナミマグロの漁獲量が従来の20%程度削減されること、しかも全世界の60%を日本が消費していること、などの説明まではよかったのだが、『魚が食べられなくなったら困るよね』と言い出した。マグロだけが魚ではあるまい。たとえマグロを食べる頻度がこれまでより減ったにしても、他にも魚はたくさんある。マグロがこれまでのように食べられなくなったからと言って、魚そのものを食べられなくなるわけではない。
 もしかすると『マグロが食べられなくなったら~』を『魚が~』と言い間違えてしまったのかも知れないが、それにしてもマグロが食べられなくなったらそんなに困るのだろうか。

 全世界の60%を消費し、あちこちの海洋を漁り、マグロそのものの数を減少させてきたにもかかわらず、その迷惑も顧みずまだ食べたい、食べられなければ困る、という感想はどこから出てくるのだろうか。
 マグロが食せないからと言って命にかかわるわけでもあるまい。
 牛丼騒ぎのときにも感じたが、日本人はまるで舌と胃を満足させるためにはどんなことでもしかねないかのようだ。食に対する欲、しかも他を顧みない欲にも浅ましさを感じざるを得ない。。(これではまるで聞き分けのない子どものようではないか。いや子どもだってちょっと賢い子どもなら「将来のため、資源保護や環境保護のため我慢しよう」と考えるところである。)

 そのように舌と胃を満足させ、太ってしまった体をもてあまし、手軽にできるダイエット、メタボリックシンドロームを改善する手だてに飛びついた挙げ句が今回の納豆騒ぎである。笑うしかないではないか。


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