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民主国家の危機

 菅官房長官(当時)が、首相選に出馬表明をした折の会見をテレビで観
た折には、その内容に呆れかつ驚いたものである。
自分の生い立ちや政治面での活動のみを、無表情にしかも原稿を読むよう
に淡々と語っていたからである。こうした出馬表明の場では『このような
国づくりをしたいと願っている』というビジョンを示し、その実現に向け
て必要な柱が努力事項として語られることを期待していたのだが、それが
示されなかったからである。
 ビジョンを示さない人物が「国の舵取り役」に就くということは、国民
という乗客を乗せ船が、どこに向かおうとしているか不明な船長が海図も
持たずに広い海に乗り出そうとしているようなものだ。
 そのような「理念や展望」を持たない人物が党内の多くの支持を集め、
暫定首相に就任した。
圧倒的な支持は、対立候補の岸田氏や石破市を選出したくないという理由
から菅氏を支持した、いわば消極的な支持によるもののようだ。

 どうやら国民の支持も高いようだが、それは菅氏が東北地方の農家出身
であることや、苦学生であったこと、たたきあげで政治家として登り上が
ってきたことなどを受けてのように思われる。
 想像するに、庶民の出であるから、国民の気持ちをよくわかってくれる
であろうという期待や、まるで今太閤をを見るかのような賞賛の気持ちが
そうした高い支持率につながっているのではないだろうか。
 
 そのような高い支持を得て総裁選で選出され、スタートした菅氏ではある
が、早々に国会を開いて所信表明演説を行うこともせず、それゆえどのよう
な国家観をもって、世界の中でどのような貢献をしていこうと考えているの
か、さらにそのためにどういう政権運営をしていこうとしているのかを説明
できていない。
就任以来すでに一ヶ月以上経過しているにもかかわらずである。
 
 その一方で、つまみ食いをするように、携帯電話の料金を引き下げるとか
印鑑使用を廃止するとか、個々バラバラの「些末」とも思えるような政策を
次々と打ち出している。
 民主国家をより望ましいものにしていく上で、それぞれがどう有機的に繋
がって機能していくのか、それが実現した時に民主主義の「充実・深化」に
どう役立つのかが示されておらず、予測・想定する努力も愚につかないもの
ばかりと思われてならない。
 さらに、何たることかと驚くばかりの発言が菅氏の口で語られた。『政府
の意向に反対する官僚は、異動対象とする』というものだ。
これが民主主義の先進国家を自認する政権担当者の言うことであろうか。
まるで専制時代の君主のような、民主政治を司る人物としては相応しくない
発言だとしか思えないからである。

 そう感じていた矢先、ある報道で若い頃から信奉しているのがマキャベリ
の『君主論』だという記事を目にした。「権謀術数」で知られたルネサンス
期の政治思想家であるマキャベリの言葉を信奉するとは、何やら底知れない
怖ろしさを禁じ得ない。
 菅総理は、自身の著『政治家の覚悟/官僚を動かせ』の中で「マキャベリ
の言葉を胸に歩んでいく」とも書いているようだ。
この書物のタイトルにある“官僚を動かせ”という言葉にも、為政者として
の「驕った誤認・勘違い」があるようだが、近代民主主義を謳う日本を帝王
のような君主として“統治していく”のだという思い上がりがはっきりと透
けて見え、二重・三重の意味で“あってはならない姿”“好ましくない姿”
を見るようで、ウンザリするほどのイヤな感じを払拭できないというの偽ら
ざる心境である。

 この国は法治国家である。
 法は、国民を守るためにあることは言うまでもない。たとえ行政府の長
であっても、その下で働く官僚の身分は保障されなければならない。自分
の意に沿わないからといって、首相の恣意的な判断で冷遇するようなこと
があっては違法の謗りを免れないはずだ。そのような発言を躊躇なくする
こと自体、近代法治国家のリーダーとして備えるべき見識に欠けていると
言わざるを得まい。
中世の専制君主であるかのごとき発言は、まさにマキャベリズムの亡霊を
見るような怖ろしさを感じさせるし、「恐怖政治」の始まりを予感させる
に十分だと思うのは私一人ではないはずだ。
そう思っていた時に起きたのが、学術会議の問題だ。

=この稿続く=



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